対人格闘術の特別講義だから、てっきり全部演習かと思いきや、最初の30分は座学だった。
そして全員の予想を裏切って教壇に立ち、ボードに文字や絵を書いていくのは小太郎。
「対人ってことだから、先ずは人の急所について教えまーす。小太郎、よろしく!」
そうして丸投げしたは近くの椅子に腰掛けてみんなと一緒に小太郎の話を聞く。
彼の話は言葉数や表現が足りない部分はあったが、そういう所はが適宜フォローしながら的確に人体の急所を教えていった。
「捕獲する際と、殺す際は、狙う場所を変える。」
そう言いながら人の絵に×と○をつけていく小太郎に、聞いていた訓練兵に動揺が走った。
彼らは敵は巨人だけだと思っている。何故、殺すと明言し、その急所を学ぶ必要があるのか、ということだろう。
「金目当て、錯乱、暗殺依頼、いつの時代も、人があつまる所、人同士の争いがある。」
「あの、暗殺依頼って、本当にそんなこと起き得るんですか?」
訓練兵の1人、アルミンが控えめに尋ねると、小太郎は口を横に引き、何と言おうか迷っている様子だった。
「そうだね。依頼を受けるような集団がいるかどうかは分からないけど、人っていうのは生きていく上、権力争いの上で邪魔な人間っていうのはどうしても出てくるもので。」
変わりにが口を開くと、いっせいに視線がに向いた。
「手っ取り早く消してしまおう、と考える人は少なくない。この狭い世界でも、権力争いはあるでしょ?そういうのに参加するような人間っていうのは、平気でそんなことしちゃう訳よ。一応憲兵団がいるけど、あの人たち自己保身に忙しいから、あんまり頼りにならいし。」
あけすけに憲兵団の話をするに一同困惑したような表情をした。
「ま、君達もそのうち分かるよ。」
そう締めくくり、続きを促すと、小太郎はチョークを走らせた。
何となく、2人は人を殺したことがあるのだろう、とミカサは思った。
以前修行をつけてもらっていた時も、2人は躊躇無く急所の狙い方を教えてきたし、何度か死ぬかと思った経験もあったからだ。加えてこの話はいやに現実味を帯びていて、唯の想像で話したことではないということは分かる。
(あの2人は、どういう境遇で生きてきたんだろう)
それは以前から何度も疑問に思ったことだった。
ついぞそれを聞くことは無かった(実際には何度か聞いてしまったがはぐらかされた)が、やはり気になる。と、少しうずうずしつつも、小太郎の講義との小話を聞いていると30分はあっというまだった。
「じゃ、これから演習に入るけど、今日は初日だし、追いかけっこね。」
にっこりと笑うに、一同は拍子抜けしてしまう。調査兵団から特別講師が来るというからどんな筋肉隆々のつわものが来るかと思っていたが、来たのはと小太郎で、あまつさえ演習は鬼ごっこなどと言うのだ。
「鬼は私と小太郎。あと、タッチされても失格にはならない。私達に投げ飛ばされたりして、失格って言われたら失格ね。」
そしての身長はお世辞にも高いとはいえないし、筋肉が異常についているとも見えない。
「あの、さんが投げ飛ばす・・・んですか?」
「うん。あ、本気で来て良いから。それこそ殺す気で。」
楽しそうに物騒な事を言うに、訳が分からず訓練兵は目を見合わせる。
「演習場所は演習用の森の中。隠れてても良いけど、私と小太郎ってすっごく気配探るの上手いから、何かハンデがいるかな・・。」
「主、立体機動装置」
何か良い案は無いか、と小太郎を見上げると、彼がすぐに案を出してくれて、満足そうに頷いた。
「よし、皆は立体機動装置使ってOK。私達は無し。あ、あと流石に硬質スチールは危ないから駄目だけどナイフくらいだったら使っても良いよ。」
数名が「ありえない」と声を上げた。
「いくらさんとコタローさんでも立体機動装置なしじゃ無理だろ。」
心配するような声をあげたのはエレンだ。
しかし、すぐにミカサが否定する言葉を発する。
「エレンはあの2人の戦い方を知らなさ過ぎる。このハンデを貰っても私達は分が悪い。」
「おいおい、あのミカサが、あんな事言うなんて」
「マジで言ってんのか、あいつ」
表立って発言したエレンに触発されて、各々が疑問を口にすると、ざわざわと声が重なって大きくなっていくのに、は困ったように頬をかいて、手を大きく叩いた。
「初日だからって言ったでしょ?明日からは本気でしごき倒すから、今日くらいちょっと楽しめそうな奴にしたんだけど、文句あんのかな。」
文句というよりは、不安の方が強いです、とは誰も言えず、ふるふると首を横に振るに留まった。
2時間逃げ切れば合格。総勢218名をたった2人の鬼が立体機動装置もなしに追いかけるという信じられない条件の元、鬼ごっこは開始された。
1分間待って追いかけるという条件のため、皆が戸惑いながらも立体機動で森の中に入っていくのを眺めながらは小太郎に声をかける。
「1人100人ちょいか。小太郎、どっちが多く仕留めれるか競争ね。」
「是」
こくん、とうなづいた小太郎はそれでも疑問が残る目でを見る。
どうしてこのメニューをすることにしたのか気になったのだろう。
「うーん、最初は普通に対人格闘術にしようと思ったんだけど、あの子達が予想以上に人間に対して危機感を覚えてないから、ちょっと教えてあげようと思って。あ、骨折ったりしちゃ駄目だよ。かるーく叩きつける感じ。」
自分よりもの方に問題がありそうだ、と思いながらももう一度頷いて、小太郎は腕時計を見た。
そろそろ1分が経つ。
「1時間に50人、10分で8人くらいって思えばそう大変じゃないね。」
ぐぐっと手を伸ばして準備運動をすると、は駆け出した。
卑怯だが、こんな広い森にしてあげたのだから円くらいは使わせてもらおう、と円を広げて先ずは手前にいた女の子に向かう。
まさかこうも早く見つかるとは思わなかったのだろう。木の上でのんびりしていた少女は、揺れた木に、驚いて下を見た。
下にはの姿があって、彼女が軽く蹴って木を揺らしていることに気付くと慌ててアンカーを他の木に刺すが飛び上がったが思いのほか早く彼女の首根っこを掴む。
「きゃ、っきゃ―――!」
どすん、と言う衝撃音の割りには余り痛くは無い。地面に下ろされた少女はに満面の笑みで「君、失格ね」と言い渡された。
よし、次。とは既にそこには居ない。近くにいたミカサは矢張り早々にここまで来たか、と逃げる足を速めた。
にしろ小太郎にしろ、まともに戦って勝てる相手ではないのは分かっている。
ポケットに一応から昔貰ったナイフを入れているが、気休め程度にしかならない。
「ん?どうしたんだ、ミカサ。そんなに慌てて。」
木の上でのんびりしていたコニーが声をかけてきて、ミカサは小さく、「来る」とだけ伝えた。
訳がわからないコニーはミカサが行ってしまうのを見送ったがその直後、乗っていた木の上に音も無く誰かが現れて悲鳴をあげる。
長身の男。小太郎だ。
「ぎ、ぎゃー!」
「失格」
どすん、と木の幹に叩きつけられて、あえなくコニーも失格。すぐに隣の木に飛び移り、気配を探りながら駆け出す小太郎は時計を見た。
まだ10分も経っていないが既に14人失格にしてきた。
本当にこんな子ども達が巨人と戦えるのか、聊か不安になってきた頃合いだ。
「失格」
また1人、地面に叩きつけて失格を言い渡して視線を上げると人影が映る。
は彼らに人間の恐ろしさを思い知らせてやる(ここまでは言っていないが)と言っていたのを思い出した小太郎は少し考えた末にその人影を追うことにした。
すぐに捕まえないのは、じわじわと追い詰めて最後に叩きのめす為だ。時間も逼迫していない為問題は無いだろう。
ぱきん、とわざと飛び移る木の枝を折りながら、着かず離れずを繰り返していると流石に相手も気付いたようで、ちらちらと背後を気にする様子を見せてきた。
「遅いな」
一瞬のうちに前に回りこんで木の枝に着地した小太郎に、ライナーは目を見開いてアンカーを別の木に打ち直した。
(立体機動装置は使わないんじゃなかったのか!?)
使っていてもあの速さは可笑しい。あれは本当に人類なのだろうか。
一株の疑問が持ち上がるが、今は逃げることが先決だ。
(だが、先ほどの速さなら簡単に捕まえられるはず。遊んでいるのか・・?)
前方への注意がおろそかになり、飛び出して来たベルトルトにぶつかりそうになる。
「ライナー!?どうしたんだ、慌てて」
「良いから逃げろ!追われてる!」
ベルトルトはまさか、と思ったものの、視界に入った黒い影に気がついてライナーに続いて逃げ始める。
「どういうことだ!2人は立体機動装置を使わないんじゃなかったのか?」
「分からん!ただ、あいつは俺達より、早っ」
そう返した瞬間横から飛びでてきた小太郎によってライナーのワイヤーが捕まれ、彼は木に激突しかけた。が、直ぐにナイフでワイヤーを切り、もう一方のアンカーで何とか地上に着地する。
「ライナー!」
慌てて方向転換をしようとするが、くん、と下に叩き落される感覚に、自分もワイヤーが切られたことを知る。
この高さから落ちては唯では済まない。ぞっと悪寒が背中から這い上がったが、地面に激突する寸での所で落下が止まった。
疑問に思ってうえを見ると、木に苦無を打ち付けて掴まっている小太郎に手を掴まれたことを悟る。
「失格」
無感情にもそう言われながら地面に下ろされたベルトルトは呆気に取られていた。
それはライナーも同様だったが、彼はまだライナーに失格と言い渡していない。
それに2人が気付くのは同時で、最早立体機動に移れないライナーは走り出すが、立体機動装置を使わなくてもアレだけの速度で移動する小太郎から逃げられるはずは無いのは分かっている。
迫り来る小太郎の腕に、身体をずらし、避けたと思ったが、避けた先で風を切る音がして咄嗟に腹を両手でガードすると激痛が左腕に走った。
体が浮き、地面に落ちるが受身を取ったためそちらは余り痛まない。
「大丈夫か」
これが、戦場だったら死んでいた。小太郎に声をかけられながらも、ライナーは自分の顔が青ざめるのを感じた。
「は、はい・・。」
「失格。戻れる?」
短い言葉の羅列。座学の時も思ったが彼は余り言葉を紡ぐのが上手くないようだ。
すぐに意図を悟れなかったが、広場まで自力で戻れるか、と聞かれていることを悟ると、ライナーは頷いた。
鬼ごっこが始まってからまだ30分も経っていない。足だけでも一時間もあれば余裕で戻れる。
そして次、見上げた時には既に小太郎の姿は無かった。
小太郎が次に見つけたのはエレンだった。
彼は真面目に周囲に注意を向けているが、まだ小太郎に気付いてはいない。
少し離れた位置から悲鳴が聞こえる。がまた1人狩ったのだろう。
小太郎の戦果はまだ16名。今度はさっさと終わらせてしまおう、とエレンがいる枝を切り落とした。
「!」
一瞬で根元が鋭利な刃物で切られたようにぱっくりと割れるのを驚愕の表情で見たエレンはアンカーを持ち上げたが、その前に小太郎に拘束される。
「うわ!」
抱えられているのは分かっているが、浮遊感に悲鳴を上げるが、降ってきたのは「失格」という非情な言葉だった。
「コタローさん!?」
こくり、と頷いた小太郎はエレンを地面に降ろすと背を向けて走り去っていった。
呆然とその背中を眺めていたが、失格と言われたことを思い出してがっくりとうな垂れる。
今まで2人に手合わせをしてもらったことは無かったため、少し楽しみだったのにこんなに呆気なく終ってしまうとは思わなかったのだ。
さて、広場まで戻るか、と立ち上がった所で、金属音が響いた。
「うん、中々良いね。」
そして聞き覚えのある声に振り向くとそこにはミカサとが居た。
ミカサは見慣れない、いや、何度か見た事はあったが奇妙な形をしたナイフを持っていて、はソレよりも一回り小さなナイフを一本持っている。
「っ!」
ナイフをナイフで弾き、空いた場所にが拳を叩き込もうとすると、ミカサはひらりと身を捩って急いで距離を取る。
ミカサにはすぐ傷を治せることを知られているため、少しくらい怪我させても良いか、とは積極的に攻撃に出る。
「だから、殺す気で来なきゃ駄目ってば。ミカサちゃん。」
冷や汗を流しながら避けるミカサとは対照的にはへらへらと笑っている。
まさか此処まで実力差があると思っていなかったエレンは真剣な表情をして2人を見つめた。
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