突然記憶喪失だなんて言われたってぴんと来ない。
私は”私”だし、この巨人なんてものがいる変な世界は新鮮さを感じこそすれ、以前いた戦国時代に比べれば文化レベルは高いから不便さも感じない。
「・・・飽きた。」
巨人の生態が何ぞや、を延々と語るアポロに向かって言うと、分かりやすくアポロは顔を顰めた。
「記憶が無いっつーから貴重な時間を削って教えてやってんのに、何だよそれ。」
「・・・色々突っ込みたいんだけど、そもそも何で私は忘れてるのにアポロは覚えてるのよ。記憶寄越せー!」
ごつん、とテーブルに突っ伏すと横からため息が聞こえる。
小太郎は作戦会議だーとか言って引っ張って行かれちゃったし、エレン君も訓練がーって言って私の相手をしてくれるのはアポロだけだ。
つまり、私自身しか相手してくれない。あぁ、何だか言ってて虚しくなってきた。
「つーか、がヘマして頭ぶつけるからいけないんだろ。」
「・・・覚えてない。だから後悔しようが無い。」
「せめてリヴァイの事くらいはさっさと思い出してやれよ。随分荒れててどうにかしてくれって昨日苦情が来てたぜ。」
アポロはさっきから私が愚痴を零したり文句言う度にコレだ。
こいつ、何様のつもりだ。
「あー、あー、聞こえなーい。」
「聞こえてんだろ!」
私はむくりとテーブルから顔を上げてアポロを睨んだ。
「だって、あの目つきが悪い人が荒れてるからって私が責められる謂れなんて無いもん。小太郎が私とあの人が付き合ってたって言うけど絶対何かの間違いだと思う。だって好みじゃない。」
そう。そうなのだ。
ここ数日で私の此処での暮らしぶりを小太郎とアポロから聞いた訳なんだけど、巨人を倒すのに協力してたっていうのは、まぁ、私、身体動かすの好きだから分かる。昔エレン君の幼馴染の修行を見てたっていうのも、小太郎と一緒に見てたんなら、それも分かる。
でも、リヴァイとか言うあの目つきの悪い男と付き合ってたっていうのは二人がだましてるとしか思えない。
いや、アポロはともかく小太郎は嘘言わないと思うけど、とにかく納得が行かない。
「だって私の理想はさわやかぶってる時のお兄ちゃんなんだもん。」
「・・・普通に”お兄ちゃんが理想”って言わない辺り、お前らしいよなァ。」
「当たり前じゃん。利用価値がある相手の前では好青年演じて用が済めばあっさり切り捨てるし、目的の為には手段は選ばないし、女子どもだろうと容赦せずにどつき回すような人だよ?1番付き合いたくないタイプ。」
一息にいって息をつくと、アポロがにやにやと笑い始めた。
あ、これ、余計な事言う感じだ。
「っていいながら立派なブラコンなんだから世話ねぇよな。」
「・・うるさいなぁ。」
アポロと話すと何が嫌かって、私が気付かないふりしてることも平気で言うところだ。
「俺の前で取り繕ったって無駄なんだから、素直に言やぁイイのによ。」
あぁ、もう。ほんと、嫌んなるなぁ。
「どこ行くんだよ。」
がたり、と音を立てて立ち上がると、不思議そうにアポロが見上げてきた。
「散歩。」
「さん」
散歩に来たはいいものの、声をかけられて立ち止まった私は、見覚えの無い少女に首を捻った。
「えー、と・・」
名前を呼ばれたからには知り合いだろう。恐らく、記憶を失くす前の。
私が記憶喪失っていう話はどこまで広まっているんだろうか。
戸惑うような私の表情に、眉を寄せる彼女。私は誤魔化すようにへらりと笑った。
「ごめん。私、こっちに来てからの記憶が無くって。」
「・・え?」
この子は余り感情が顔に出ないタイプらしい。
少しだけ目を見開いた少女はじっと私を凝視した。
「記憶が、無い?」
「・・・うん。ごめんね。」
そう言うと、少女は考え込むように顎に手を当てて俯いた。
「・・・本当に何も、覚えてないの?エレンのことも、あのチビのことも、もしかして、コタローさんのことも・・?」
本当に知り合いらしい。小太郎の名前が出てきて、私は少しだけ表情を崩した。
「あー、いや、小太郎の事は覚えてる。エレン君は、記憶を失った後に何度か会ってるから知ってるけど・・・あ、もしかして、エレン君の幼馴染?私と小太郎が修行つけてたっていう。」
「・・あ」
少女は思い出したようにコートの中に手を突っ込むと見覚えのあるナイフを取り出した。
「これ、昔貴方に貰ったナイフ。」
この世に一つとして全く同じものは存在しない、ベンズナイフ。
私が小さい頃、お兄ちゃんに貰ったものだ。
「・・・私、随分君の事気に入ってたみたいだね。」
思い入れはあるが、もう使うことは無いナイフ。赤の他人に渡すなんて事、私がするはずが無い。盗まれたという事も考えられるけど、私から盗めるようなやつがここら辺にいる気もしない。
つまり、私は彼女の事を随分可愛がってたってことだ。
「名前、教えて?」
分かりにくいけど、確かに目の前の少女は傷ついた顔をした。
「アポロ、私が親しかった人の名前と特徴教えて。」
部屋に戻るなり、いきなりそう言い出したに、アポロは目を瞬かせた。
散歩中、の影の中にいたアポロは一部始終見ていた。恐らく、ミカサに会った事で思い出す気にでもなったのだろう、とあたりをつけると、紙とペンを手に取る。
「親しかった順に書くぞ。」
「うん。」
紙にペンを走らせると真っ先に出てきたのは”リヴァイ”という名前で、は眉を寄せた。
「アポロ、これ、からかってる?」
「からかってる訳ねーだろ。折角が思い出す気になったっつーのに。」
少しむくれながらも、ペンは休まらない。
「リヴァイの特徴は良いだろ?目つきの悪いアイツだ。で、次が・・・」
ハンジ、ペトラ、エルヴィン、エレン、ミカサ、ミケ、ナナバ
次々と挙がる名前に、は驚きを隠せなかった。
確かに自分はそこそこ人当たりが良い性格はしていると思うが、積極的に人との繋がりを深めるタイプではない。
むしろ、此処が自分が本来いるべき世界では無いのだから、関わる人は最小限に抑えるのが今までの自分だった筈だ。
「あ、今考えてること当ててやろーか。」
じっと紙を見つめるに気がついたアポロはペンを置いてにやりと笑った。
「"多すぎる"、だろ?」
「・・・あたり。」
はぁ、と息をつくと外から足音が聞こえてきて、は目を瞑った。
この足音と気配はあの目つきの悪い男、リヴァイだ。
驚くべきことにの隣の部屋を使っているらしい彼が夕方早い時間に戻ってくるのは珍しい。
「おい、」
ノックもなしに開かれたドアに、は目を瞑ったまま眉を寄せ、アポロは笑って振り向いた。
「よ、リヴァイ。」
「・・・飯に付き合え。」
スルーされたアポロは肩を竦めると立ち上がってドアへ向かう。
「ハンジのところに行ってくる。半径1km以上遠くに行くなよ。」
「相変わらず面倒な制約だな。」
笑って出て行く音がする。はため息をついて目を開いた。
「なんだ、その紙。」
リヴァイはが向かっているテーブルに向かうと紙を覗き込んだ。
彼にはわからない言語で書かれているソレに視線で尋ねるとようやくはリヴァイを見た。
「不本意で、信じがたい事だけど、私の交友関係の中で1番仲が良かったのってリヴァイって人なんだって。」
1番上に書かれている名前を指差す。
「・・・で?」
「てゆーか、ここでこんなに仲良い人達がいるっていうのも予想外。私、思った以上に色々忘れてるみたい。」
「そうだな。」
は紙を折りたたむとポケットにしまった。
「・・1番仲が良かったらしい、リヴァイって人と昔話でもすれば思い出すきっかけになると思う?」
「・・・さぁな。」
リヴァイは呆れたようにを見下ろして手を引っ張り上げた。
「御託は良いからさっさと行くぞ。で、さっさと思い出せ。お前が大人しいと調子が狂う。」
リヴァイに連れてこられたのはこじんまりとしたレストランだった。
迷わずに奥の席に進んだリヴァイは視線でに座るように促すと、きょろきょろと店内を見回していたは大人しく腰掛けた。
外食は初めてで、どんなレストランかと思ったが、異世界のレストランにしては馴染みがあるように感じるのは、西洋の文化が根強くあるからだろう。
「あ、私、まだ文字読めないから適当に頼んで。」
「あぁ?」
馬鹿にするように言われて、はやっぱこいつ嫌いだ、と心の中で呟いた。
「・・・ワイン、少しは飲むだろ。」
「少しはね。」
ぱらぱらとメニューを見ると、リヴァイはすぐにウェイターを呼んで注文を済ませた。
「・・・で、普段私はアンタとどんな話してた?」
「リヴァイ。」
「え?」
最初からリヴァイの不機嫌な顔しか見ていないが、相変わらず機嫌悪そうに言われた言葉に訳が分からず聞き返した。
「お前は俺の事を、”リヴァイ”と呼んでいた。そう呼べ。」
「あー、はいはい。リヴァイ、ね。」
運ばれてきたサラダとワイン。
余り酒には強く無いが、今日は酔っ払いたい気分だ。
(ミカサの、傷ついた表情が思ったより堪えてるのかな)
グラスを合わせて口にふくむと、すぐに喉が熱くなった。
「無理して全部呑まなくて良い。」
「あ、弱いの知ってるんだ。」
付き合っていたのが本当なら当たり前か、と自分の中で納得してサラダを取り分け始める。
「いつも半分呑んだら満足して俺に押し付けてたからな。」
「・・・・ほんとに付き合ってたんだね。」
取り分けていた手を止めてまじまじとリヴァイを見る。
余り酒は飲まない上に、飲むときは半分くらい飲んで残すのが常。そして残すのではなく押し付ける相手と言えば兄かその仲間くらいだ。
「まだ疑ってたのか。」
そう言ってリヴァイはぐいとワインを煽った。
料理は中々のものだった。
サラダ、パン、魚のムニエル。日ごろの食事を思えば、今日の食事は豪華なものに分類されるだろう。
「あー、頭痛い・・」
そして、いつもなら半分でやめるワインを1杯どころか3杯飲んだお陰でぐらつく頭を抱えながら帰路に着く。
「飲みすぎだ、馬鹿が。」
「いやー、だって、今日は飲みたい気分だったからさぁ。」
「・・何かあったのか。」
思えば、親しい人物のリストを作っていた事といい、積極的に記憶を取り戻すようなことを言い始めたのは今日が初めてだ。
「んー、昼間、ミカサって子に会って。」
「・・・あぁ、あの餓鬼か。」
少し時間はかかったが、思い当たる人物を頭の中で探り当てると続きを促す。
「ほら、私って今記憶無いでしょ?で、名前聞いたんだよ。」
ずるりとリヴァイの肩に回させていた腕がずり落ちた。それを持ち直しながらリヴァイは話を黙って聞く。
「そしたら、なんか、傷ついた顔してて。」
「罪悪感でも感じたか。」
こくり、と頷くと、彼女の長い髪が手にかかった。
「私が昔使ってたナイフ渡した程、仲が良かったんだから、思い出さないとなぁって。あと、これ以上他の人にあんな顔されるの嫌だし。」
「・・・オイ、俺は良いのか。」
はた、と気付くのは、十分に自分もに忘れられたことに傷ついた、ということ。
が思い出す事に前向きになった事は喜ばしいが、きっかけがミカサというのが気に食わない。
「いやだって、リヴァイ、そんな傷ついた顔してなかったじゃん。怒ってたのは覚えてるけど。」
言われて、確かにそうだ、とが記憶を失った日を思い出す。
「・・・とにかく、さっさと思い出せ。」
「善処しまーす。」
落ち込んでたかと思ったら笑いながらそう返したにリヴァイは無償に殴りたい衝動に駆られた。
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