幸村は鍛錬する手を止めて空を見上げた。
がいなくなって一週間程がたってしまった頃の事だ。
(殿は竹中殿のところに居る為問題は無いと猫殿は言っていたが・・)
達にしたら友人でも幸村から見たら敵だ。
そんな人間のところに単身行ってしまったを心配するなと言うのが無理な話で、幸村は息を大きく吐き出すと槍を振り下ろした。
「殿・・。」
口から零れたのは彼女の名前で、それを聞いていた佐助は額に手を当てる。
「旦那の初恋が来たって喜ぶ所なのかねぇ、これは。」
そうは言っても彼女は得体の知れない術を使う”マホウツカイ”。確かに村に居る頃何度か話した時は普通の女の子で特別警戒するに足らない人物だと思ったが、彼女と共に居た、そして今はこの屋敷にいる猫が問題なのだ。
「あ、猫助、丁度良い所に。」
とてとてと歩いていたリドルの横に降り立つと、リドルは不愉快そうに目を細めながらもちょこんと座り、佐助を見上げた。
その目の前にしゃがみ込んで佐助は彼に話しかける。
「ちゃんの所に手紙出す時は旦那の手紙も一緒に送ってやってよ。」
まさか頼みごとをされるとは思わなかったリドルは器用に笑う。
「べつに良いけど、どういう風の吹き回しだい?君が僕に頼みごとをするなんて。」
「仕方ないでしょ。旦那が元気無いんだからさ。ちゃんから来る手紙も南蛮語で読めないし、心配してる訳よ。」
ふぅん、と呟いてリドルは佐助の頭に飛び乗ると、ようやく見えた幸村の姿に、視線を向けた。
頭をもみくちゃにされている佐助はと言うと、下で色々文句を言っているが知ったことではない。
「成る程ね。」
1人納得してリドルは佐助の頭から飛び降りた。
いつもどおりリドルから手紙を受け取った半兵衛はその紙がいつもより多いのに気が着いて、ぺらぺらと捲った。
そして小さく笑い声をあげる。
「甲斐の虎若子が恋文とは、は随分と懐かれているみたいだね。」
くすくすと笑いながら呟く半兵衛に先ほどまで話をしていた三成は首を傾げた。
「甲斐の虎若子、というと、真田幸村ですか?」
「あぁ。言っていなかったが、は一時期真田に捕らわれていてね、その後まぁ、色々とあって彼女の保護者は今真田のところに身を置いているんだよ。」
色々、という言葉に多くのことが端折られているのは分かったものの、意外な人物との繋がりに三成は眉を寄せた。
武田とは直接戦った事は無いが、同盟を結んでいる訳でもない。
豊臣とその同盟国以外は敵と認識している三成にとってそれは由々しき問題だった。
「・・では、その保護者を此方へ保護するのですか?」
「いや、逆だよ。があちらへ行くんだ。これは彼女の保護者の意思でね。」
それは三成にとって衝撃の事実だった。
が半兵衛に酷く懐いており、また、彼女の保護者とも度々文を交わしている様子から親しいと思っていた。
はそう長くこの屋敷に留まらないだろうと言われていた為、今は彼女の保護者が住居を探していて、そこへ彼女は行くものと思っていたのに、何故真田のところへ行くという話が出てきたのか。
「お待ちください。は、どこの軍にも手を貸すつもりは無い、と。そして、先ほど真田に捕らわれていたと仰いましたが、それなのに真田の元へ返すおつもりですか?」
珍しく意見する三成の言葉に、半兵衛は苦い顔をした。
「彼女の保護者の上にいる人物の決定らしいんだよ。」
「・・・半兵衛様、彼女は一体何者なんですか。その保護者とやらは、一体・・・」
その問いに、半兵衛は緩く頭を振った。
「それは言えない。でも、一つだけ約束できるのは、彼女が武田に力を貸さない、という事だけだ。大谷君の治療も続けてくれるし、たまに此処に遊びに来ることもあるだろう。」
三成はその言葉に目を見開いた。
普通であれば、を間者と見做し投獄するところだ。それなのに、半兵衛は彼女を真田のところに戻し、あまつさえその後も遊びに来るなどと軽く言ってしまう。
「三成君。彼女達は、この世の行く末に関与することを放棄している。それだけは、覚えておいてくれ。」
そう言って返事を書き始めた半兵衛に、三成は口を噤むしかなかった。
ようやく出来上がった薬をビンに詰め、は三成が迎えに来るのを今か今かと待っていた。
試作品でらい菌が死滅するのは勿論、マウスの健康状態に影響も出なかったことを確認できたのがついさっきの事。
「!」
すぱーん、と開かれた襖に、はやっと来たかと立ち上がったが、彼の形相がいつも異なることに気付いて怯む。
「貴様、そこに直れ!」
「え?は、はい!」
鬼気迫る勢いで言われて思わず言われるままぴしりと垂直に立つと、目の前までずかずかとやってきた三成に見下ろされる。
何か悪いことでもしただろうか。いや、していない筈だ、と瞬時に自問自答をして、三成を見上げる。
「真田のところに行くつもりというのは、真か!?」
「真田って・・・あぁ、うん。何か、幸村さんのところにお世話になるみたい。」
それがどうかしたのか、と尋ねると、三成は文字通り噴火した。
「貴様ァ、半兵衛様の温情を無碍にし、よりにもよって豊臣の敵となり得る武田の元へ下るとは・・・何か弱みでも握られているのか!?そうなんだな。言ってみろ、私が真田幸村を斬滅してくれる・・・!!」
「え?ええ?」
全く意味が分からない三成の様子に、ただただは戸惑うばかりだ。
「言え!なんと脅されているのだ!さっさと言わぬか!」
「ええっと・・・なんか、誤解があるみたいなんだけど・・・とりあえず、」
は手元のビンに視線を落とした。
「これ、大谷さんのところに届けてからでも良い?」
「そんな悠長な事言ってられるか・・!」
ばちこん、と頭をはたかれて、は目をぱちぱちと瞬かせた。
まさか自分も咄嗟に頭を叩いてしまうと思わなかった三成はようやくはっと我に返る。
「な、何が、どうなって・・・」
「な、泣くな!」
ううう、と目に涙を溜めたに先ほどとは打って変わって三成はおろおろと手を彷徨わせる。
「三成さんの勘違いなのに・・・」
ぽろぽろと頬を流れ落ちる涙に、三成はぎょっと目を見張った。
そしてビンを持ったまましくしく泣くを担ぎ上げて走り出す。
「刑部ウゥゥゥゥゥウウウウ!!!」
慌しい足音と共に自分を呼ぶ大声。
刑部は厄介ごとが来たと嘆息しながらも襖に目をやった。
数秒後に勢い良く襖が開け放たれ、入ってきたのは焦燥に顔色を悪くした三成と彼に抱えられてしくしく泣いている少女。
「ヒヒっ、とうとうお主にも不幸が舞い降りて来たか。やれ、愉快、ユカイ。」
「どうでも良いから何とかしろ!」
抱えていたを降ろして刑部の前に差し出す。
降ろされたはと言うと、目の前に刑部がいることに気がつくと、持っていた黄色い蛍光色の液体が入ったビンを差し出した。
「大谷さん・・これ、薬です・・うっうっうっ」
ごしごしと右手で涙をぬぐいながら左手でビンを差し出す様子は滑稽だったが、三成は笑うことも出来ずにただそれを見守った。
受け取った刑部はと言うと、相変わらずひきつるような笑いを上げながら礼を言うと、彼女の頭に手を伸ばす。
「して、主は何故泣いておる。三成に何かされたか?」
尋ねてみるとこくりと一つ頷いたに、刑部はとうとう笑いをこらえられなくなる。
「笑い事ではないぞ、刑部!」
「いや、主が斯様な娘を泣かせるとは・・・ヒヒ、腹が捻じ切れるわ・・!」
何が彼のつぼに嵌ったのか、ひいひい目じりに涙をためながら笑い続ける刑部に、三成は益々吼える。
それが刑部の笑いを助長させるとは知らずに。
「やれ、三成に何をされた?無体でも強いられたか?あやつ、ああ見えてむっつり―――」
「刑部ゥゥゥウウウウ!!」
予想通りの反応をする三成に、刑部はまた笑った。
2人が喧嘩をしている間(というか、三成が一方的に刑部に文句を言っている間)には泣き止み、落ち着いたところで三成の誤解を解いた。
そうは言っても納得するはずのない三成は未だぶちぶち文句を言っていたが、敵に回ることは決して無いと何度も言い含めると、漸く彼は渋々納得したようだった。
そして、いきなり頭を叩き怒鳴り散らしたことの侘びとして髪の毛を要求された三成はと言うと、少し短くなった髪の毛に落ち着かなさそうにしている。
「えへへ、貰っちゃった。」
反対には三成の髪の毛が入った袋を嬉しそうに握り締めて笑顔を振りまく。
笑顔で髪の毛を切り刻み袋に収めるとは、意外と恐ろしい少女だ、と刑部が密かに戦慄したのはここだけの話だ。
「三成の髪が何の役に立つのやら・・・呪いか?ヒヒッ」
むしろそれに使えば良い、という思いが言葉に表れていて三成は青筋を立てるが、それを遮ったのはだった。
「違う違う、三成さんの髪の毛、凄いんだよ。なんと!入手ランクA+のルベリア石の材料になるんだから!」
どーん、と胸を張っていうが、その凄さは全く理解されない。
「入手らんくえーぷらす?るべりあせき?」
「別名竜の鱗。すーっごく希少価値があるんだよ。あ、もしかして、大谷さんとか半兵衛さんの髪の毛からも凄いのできちゃうかも!」
いつぞやの如く、の視線は大谷の髪に行く。そして、当然、その視線を感じた大谷は頬をひくつかせた。
「ま、まちとまて、主、正気か?」
はきらきらとする目でどこからともなく鋏を取り出し、満面の笑みを浮かべた。
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