翌日、教室に入ると固まっている女子生徒がくすくす笑っているのが耳につく。
視線の先には原口の机があって、机の上には恐らく中に入っていたのであろう教科書が引き裂かれて置いてある。
下らない事をするものだ。
この日から、どんどん彼女への苛めは顕在化し、エスカレートしていった。
それに気づかないテニス部ではなく、授業中を除いて常に彼女にテニス部の誰かが付き添うようにしたみたいだが、逆効果だ。
何だ、テニス部には頭の弱いやつしかいないのか。
そう思ったものの、話に聞く限り青学のテニス部は倫理に重きをおく人物が多いらしく、残念ながら、盗聴や彼女を囮にして何かをする、ということが出来ないようだ。
結果、誰かが付き添うという安易な方法を取ったということだろう。
「雲雀さん、準備どう?」
そんな中、文化祭がやってきた。
裏方を務めているに声をかけたのは委員長で、は問題ないとだけ返して、パウンドケーキを切り分ける作業を続けた。
ちなみに、最初はホールスタッフのはずだった原口も裏方だ。
「・・・原口さん」
皿が足りない。そう思って皿を洗っている彼女に声をかけると、彼女は目に見えて怯えた。
それにため息混じりでは言葉を続ける。
「お皿、先に5枚頂いても良いですか。」
「あ、うん。」
慌てて彼女は震える手で洗い終えていた皿を拭こうとするが、その背中に他の女子生徒がぶつかって、手から皿が放り出される。
がしゃん、と皿が割れる音が響いた。
「ちょっと原口ー、何やってんのよ。」
「あ、ご、ごめん。」
明らかにわざとだ。他の裏方の生徒もくすくすと笑っているのだから気分が悪い。
はどうしようか、一瞬悩んだが、隣で抹茶を立てていた生徒に後をお願いすると、ビニール袋をひっつかんで割れた皿を回収し始めた。
「雲雀さん、そんなの原口にやらせなよ。」
せせら笑うような声が上から降ってきて、は破片を拾う手を止めて声の主を見上げた。
ぶつかってきた張本人は楽しそうにと原口の2人を見ている。
「一言、謝っても良いんじゃないですか。ぶつかったの、貴女ですし。」
「はぁ?」
心底分からない、という顔で聞き返す彼女には無表情のまま続ける。
「彼女を虐めるのはやめろ、と言うつもりはありません。そんな権利、ありませんし。」
「唯、文化祭まっただ中の今、貴女が故意にぶつかったせいで作業が中断し、おまけにこの場の雰囲気を悪くするのはどうかと思いますよ。協調性が無い私が言うのも何ですが。」
いつの間にか他の生徒が破片を拾い終えて、先ほどがとりかかっていたケーキはこちらをちらちらと伺いながらもホールスタッフが客に提供しに行こうとしている。
「・・分かったわよ!」
これ以上ここで何かやらかすな、という意図は伝わったのか、女は舌打ちをして背中を向けた。
何をしているのか良く分からないが、そろそろ自分は休憩に入る時間だ。もしかしたら自分の交代要員なのかもしれない。
「雲雀さん、もう休憩入って。」
「ん。わかりました。次は4時からでしたっけ。」
「そうよ。じゃぁ、おつかれ!」
そう思っていた矢先、声をかけられては振り返って頷くと、原口を一瞥して踵を返した。
裏口にしている後部の出入口から出ると、廊下には人が多くひしめていて、その中でも一際高い人口密度を見つけて、はまさか、と眉を寄せる。
「あー、煩ぇんだよ。散れ!」
「すみません。僕達、人を待ってるので・・」
聞き覚えのある声。
「あ、。遅ぇよ!」
一番にを見つけたのは宍戸で、彼は鬱陶しそうに顰めていた顔をそのままにに向かって手を上げた。
「3人とも・・・校門で待ってるって言ってなかったっけ?」
「慈郎と忍足がふらふら中に入っていくから一緒に入ってきたんだよ。」
気が進まないながらも歩み寄ると、景吾があの2人へ向かって悪態をつく。
「その2人の姿は見えないけど?」
「あー、はぐれちまってな。跡部が面倒だからそのままにしとけっつーから。」
それは酷い言い草だが、この人だかりが二手に分散できているとしたなら、有り難い。
「昼飯食ってねーだろ。行くぞ。」
「うん。」
裏方をやっていたため、普通の制服姿。その御蔭で歩きまわっても目立たないかと思っていたのに、それはもう、一緒にいる3人のせいで目立つ。
出店の料理は口にあわなかったのか、外に食べに行くと言い出す景吾に、なら近くに美味しいオムライスが食べれる店がある、と伝えるとすぐに店はそこに決まった。
「しっかし、普通の出店ばかりだったな。」
「そりゃぁ、氷帝に比べたらダメだよ。お金あんまりかけてないんだから。」
去年、氷帝の文化祭に連れて行かれたは、その豪勢さをよく心得ている。
文化祭を自主的に生徒が金を動かし、商売を行う訓練、と位置づけているのは良いが、使う金の桁が違う。
もちろん、学校から出る分だけではなく、生徒からも徴収しているらしいが、その額もなんとなく想像がつく。
数千円なんて可愛いものじゃないのだろう。
「あ、来週の文化祭には来れますか?」
「ん。招待状も景吾から貰ったしね。」
頷くと、鳳はにっこりと笑った。
「テニス部もカフェをやるんですよ。中世ヨーロッパをイメージしているので、内装も食器も手が込んでてきっと気にいると思いますよ。」
「へぇ・・・」
もちろん、モノを容易したのは景吾だろう。この前楽しそうにアンティークのカップの雑誌を眺めていたのをは知っているのだ。
それにくわえて、景吾の母親は相当なアンティークフリークで、家にも数多くコレクションを置いているのも知っている。
「割ったら弁償?」
「・・・俺、本当にホールやりたくねぇ・・・。」
景吾の金銭感覚が常人とかけ離れているのを認識している宍戸は少し顔を青くしながら呟いた。
「割るような客が来るはずねぇだろ。」
「・・・・(亮君、当日は一緒に他の出店回ろうか)」
「(そうだな)」
こそこそと話してみるものの、一つのテーブルについていては筒抜けで、景吾に頭を小突かれた。
結局、文化祭が終わる時間まで待つと言われてしまい、は急いで片付けをしていた。
教室の片付けは月曜の午前中をつかって行う為、やっておかなければいけないのは洗い物と残り物の処分くらいなもので、拍子抜けにも予想以上に早い時間に終わった。
一応成功したと言える今回の喫茶店。お陰で片付けが終わった後も、教室では皆で残り物をつまみながら談笑が続けられている。
は静かに荷物をまとめると教室を出て早足で校門へと向かった。
「・・から・・・って・・!」
トイレで手を洗ってから行こうと思ったらそれが間違えだったのか。足を一歩踏み入れた所で穏やかじゃない話し声が聞こえてきては眉を寄せた。
「誰!?・・・って、雲雀さんか。」
足音がして警戒したのだろう、鋭い声がして、顔を覗かせるとそこには文化祭中、原口にぶつかったクラスメートとその友人が原口を取り囲んでいた。
「苛めをするな、とは言わないんでしょ?何の用?」
「手を洗いに来ただけです。」
ため息混じりにそう言って、は蛇口を捻り、手を洗い始めた。
「あ、そういえば、何で跡部さん達と一緒にいたのよ。」
さすが、テニス部につきまとうだけのことはある。他校の選手まで知っているのか、と思いつつも確かに顔は良いから仕方ないのかと自己完結させながらは手をハンカチで拭きとった。
「何でって、友達ですし。」
「友達?ね、ねね、紹介って・・」
途端に眼の色を変えたクラスメートに、は冷ややかな目で見返した。
「そういうの、受け付けて無いので。」
「感じ悪っ。ね、原口サン。」
取り付く島も無いに矛先を再び原口に戻すクラスメートに、彼女は震え上がった。
よくよく見れば、水でもかけられたのか濡れているし、折角治りかけていた頬も青くなっている。
「・・・人を虐める心理というものが私には良く分からないんですが、あなた達は何故原口さんをいじめているんですか?」
このまま立ち去っても良かったのだが、縋るような、あの嫌な目で見られて、仕方なく口を開く。
「は?」
「一般的には、羨望、嫉妬、憂さ晴らし、喧嘩を売られたから、とか、あると思うんですけど。」
使い終えたハンカチをバッグにしまいながら、まるで世間話でもするようには言葉を紡ぐ。
「原口さんは喧嘩を売るようにも見えないですし、憂さ晴らし、とは言ってもそれだけの理由で苛めの対象になるようには思えない。というと、彼女が羨ましいからですか?」
「な、何なのよ!あんた、別に虐めようがどうでも良いって・・!」
「あぁ、はい。そうなんですけど、理由が気になって。」
そう言いながらちらりと時計を見る。
「羨ましいわけないでしょ!ただ、私達は、こいつが色目を使う為にマネージャーなんかしてるのが許せなくて!テニスの邪魔になるような事をしてほしくないだけよ!」
「それって悪いことですか?」
本気で分からない。というような表情で、見つめられて。
クラスメートの女子生徒は、か、と頭に血が上るのを感じた。
「別に、マネージャーの仕事をちゃんとしてるなら、良いんじゃないですか?だって、仕事してるなら、誰にも迷惑かけてないじゃないですか。有益な人だからこそ、テニス部はマネージャーを続けさせてるんでしょうし、彼女が邪魔なのか、邪魔じゃないのかッて言うことは、貴女が判断することではない。テニス部が判断すること、と思うんですが・・」
ここまで言っても分からないかな、と侮蔑を込めた表情では首をかしげた。
「間違っているでしょうか?」
「ッ・・!何なのよ!あんた!!」
出てきた手はぱし、と軽い音と共にはたき落とされた。
「私に怒るのはお門違いかと。」
女子生徒はひりひりする手を抑えて、舌打ちをするとかけ出した。
「あ、浮葉!待ってよ!」
それを追って、他の2名の女子生徒もトイレから駆け出す。
言い当てられて、手をあげようとして、出来なかったら逃げ出すなんて、どこの三文芝居だ。
そう悪態をつきながら自分もこの場を後にしようとするも、原口に呼び止められる。
「雲雀さん!」
「・・何でしょうか。」
仕方なく足を止めて振り返る。
「いつも、ありがとう。」
そう言って頬を腫らしながらも笑う彼女に、は心底不快そうな顔をした。
「・・前も言ったと思いますが、私は貴女に興味はありません。今回もたまたま出くわしたから、私が思った事を言っただけ。」
彼女は自分のことを正義のヒーローか何かと勘違いしてやいないだろうか。
「助けたつもりは無いし、これからも助けるつもりは無いということを、忘れないで下さい。」
じろりと睨みながら言うと、彼女は虚につかれたような顔をしたが、何も言わなかった。
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