部活の締めに、部員に向けて話をしている景吾の姿をぼんやりと眺める。
少し涼しくなってきて、心地の良い風にうっとりと目を閉じた。
「」
目を開くと、部員が散り散りに、部室へ戻って行ったりコート整備に向かったりしている姿が見える。
「少し、体動かすか。」
「え?」
そう言って景吾は暑さから一瞬たりとも使いもしなかったジャージを投げてよこす。
「それ、下に穿け。そこの部屋なら今誰もいねぇから、使って良いぜ。」
そして、景吾はコート整備に取り掛かろうとしていた後輩に声をかける。
「おい、そこのコートは良い。今から使うからな。」
「どういうこと?」
「今からテニスするってことですよ。」
鳳がテニスラケットを2本手に持っての元へ歩いてくる。
「息抜きだってよ。」
その隣には宍戸の姿もあって、は意図を悟る。ダブルスをするということだろう。
「で、俺は観客!」
にっこりと笑った慈郎がの手を引いてすぐそばの用具室へと連れて行くと、を中に入れて扉を閉じた。
部屋に入れられたは暫く手にあるジャージを見つめる。
「ほら、早く着替えちゃってよ!」
「でも、これ、裾余るよ。」
「ダイジョーブ!俺、ピン持ってるから後で上げてあげるC!」
ドアの向こうからそう言われてしまって、はしぶしぶスカートの下に景吾のジャージを履いた。
もちろん、裾だけではなくウエストも余るが、それは腰紐がついていたので、それをぎゅうぎゅうに引っ張って結んでしまえばどうとでもなる。
「終わったよ。」
「じゃぁ裾上げね!」
ドアがすぐに開いて入ってきた慈郎は器用に裾をまくり上げると、七分くらいの丈でピンを使って止めていく。
「ラケットは俺のを使ってください。さん、力ありますからね。」
茶化すように言ってラケットを手渡されて。
「・・・壊さないようにしないと、ね。」
真剣な顔でそう言うに思わず笑ってしまった。
忍足は慈郎の横でなんとはなしに4人がテニスするのを見ていた。
については先ほど向日に少し話を聞いていて、噂の景吾の幼馴染だということは分かっているが、目を引いたのはそれだけじゃなくてテニスだ。
言っては何だが、技術は無い。
余りテニスをしたことは無いのだろう。動きがぎこちない。それでもラリーが続いているのは、単純に彼女の動体視力が良いのと、女子では考えられないほどの力があるからだ。
「ある意味すごいわ・・」
彼女のサーブ。見ていると豪速球がその腕から繰り出され、着地点で土が舞う。
だが、アウトだ。
「相変わらずノーコンだな。」
「・・・亮君、酷い。」
歯に衣着せぬ言い方をした宍戸に眉を寄せたはもう一度ボールを上げる。
今度は先ほどよりもゆっくりとした球がなんとかぎりぎりコート内に入って、それを鳳が返す。
本気ではない。けれど決して軽すぎない球。それでもは片手で打ち返す。
フォームも洗練されていない、返すときの体勢も少しおかしい。
でもそれはきっちりと相手コートへ返っていく。
「ちゃん、運動神経いいんだよね。たまに跡部の家で打つけど、打ち返すの結構大変なんだ。」
「せやろうな。あんな力任せのテニス、久しぶりに見たわ。」
男なら、まぁ、わからなくも無い。だが、打っているのは女子だ。
打球を打つのもガットの中央じゃない。それでも、力任せにラケットをふり、打ち返す。
返している2人も、返し方が悪いと手首を痛める程の球を。
「面白いやん。」
「じゃぁ次交代してもらおうよ。俺が跡部と交代で、忍足は宍戸と交代。」
そう決めると、忍足が何か言う前にそれを景吾に向かって叫ぶ。
「あとべー!キリが良いところで交代ねー!!」
景吾はちらりと慈郎を見ると軽く頷いて見せた。
「しっかし、何で急に打ち始めたん?」
そうだ。そもそもの疑問がまだ解決していなかった。
部活が終わった後、何か5人で話したかと思ったらコートに入って打ち合いを始めたのだから、何事かと思い、好奇心からこうして忍足もここに残っているのだ。
「んー、多分ね、ちゃん、なんか悩んでるんだと思う。そういう時はちゃんの保護者が殴り合いの喧嘩を吹っかけるんだけど、今、その人いないから跡部が代わりにガス抜きしようと思ったんじゃないかな。」
「な、殴り合いやて?」
普段から、気が抜けてる所を狙ってトンファーをぶんぶん振り回してに殴りかかってくる絵を見ている慈郎は事も無げに言ったが、忍足は頬をひくりと引き攣らせてを見た。
あの筋力はその結果ついたものか、と。
「その人もだけど、ちゃんもすーんごく強いんだ。」
「・・・さよか。」
珍しい。ここまで慈郎が食いつくのはテニスだけだと思っていた。
視線の先には相変わらず4人が打ち合う姿がある。
試合にはとても見えない、息抜きのテニス。つまるところ勝敗を気にしていないというのは明らかなものだというのに、何故か忍足も4人のやりとりを見てしまう。
また一球、彼女が打ち返す。
インパクト音は少しずれた音がするのに、こちらまで風を切る音が聞こえてきそうな程の打ち返し方。それはまっすぐに鳳へと向かって、彼は顔を引き締めると、両手で打ち返した。
どれだけの選手が、あれほどの重さを持つ球を打てるだろうか。
技術はからっきし。プレースタイルを見ても真似すべき要素は、参考になりそうな要素はいっぺんも見当たらないのに、愚直なまでに戦略も考えずにただ、ひたすら球を打ち返す彼女はその性格そのものを表しているようだ。
「ちゃんの球はね、まっすぐなんだ。まっすぐにしか飛んでこない。でも、怖いよね。」
「・・・分からんでも無いわ。」
それは彼女の性格について言っているのか、それともただ単に彼女の強すぎる球を打ち返す事に対して言っているのかは分からなかった。
あの後、言葉通り、慈郎は景吾と交代し、忍足は鳳と交代して引き続き打ち合いが行われた(決して試合ではない)。
それが終わったのはすっかり辺りが暗くなった頃で、だが、設備がありえない程充実している氷帝のテニス部のコートには照明が確りと灯り、プレーするには問題ない程の明るさを提供してくれている。
「どうだ。少しはすっきりしたか。」
結果的に日が暮れたとは言えまだ暑さが残る中長時間打ち合うことになり、相手は相当な腕前ということも相まって、は滴り落ちた汗を景吾から手渡されたタオルで拭った。
「うん。やっぱり、バレてたんだね。」
「当たり前だ。」
こつん、と額を突かれて、はじ、と彼を見上げた。
「一番良いのは、恭弥さんの稽古だろうが、体動かすと少しは気が楽になったろ。」
「うん。あ、喉乾いた。」
そう言うとすぐにペットボトルを差し出されてそれをごくごくと喉に流し込んだ。
「いやー、でも予想以上にきつかったわ。何なんあの力。」
同様に汗を吹きながらペットボトルを手に近づいてきた忍足は丸メガネの奥の瞳を細めて言った。
テニスをしたとは言え、やはり初対面の人物にどう声をかけて良いか分からないのか、は困ったように景吾を見上げる。
「褒めてんだよ。素直に礼言っとけ。」
「ありがとう、ございます。」
「敬語はいらんて。ちゃん。」
「こいつの敬語は癖みてぇなもんだ。慣れるまで我慢するんだな。」
ぐしゃり、と頭を撫でながら言う景吾の姿に、忍足は純粋に珍しいと目を見張った。
景吾から女子生徒に近づくことは愚か、ボディタッチを自分からだけではなく他人からも許さない彼が、こうも一人の女に構っている。
幼馴染、という話は聞いているが、それだけで片付けられないような何かを感じる。
景吾がを見下ろす視線は優しい。親愛なのか、それとも違うものなのかは判断つかないが、それはタダの幼馴染というのには違和感を感じる程親密なものに見えた。
(確かに、岳人は苦手やろうなぁ・・)
の話を岳人に聞いた時、彼はと景吾の関係や氷帝の小等部に数年間いたと言った後、「でも、俺、昔から苦手なんだよな。あいつ。」と漏らしていた。
岳人は良くも悪くも人の言葉と態度をそのまま受け取って、そのまま返す傾向がある。
恐らく、の第一印象は最悪だったことだろう。
にこりともしない、景吾の後ろに隠れる、話かけても返ってくる言葉は少ない。
だから、今も岳人はこのコートにはいない。さっさと帰ってしまった。
「忍足ー、この後跡部んち行って飯食うんだけど、行く?」
「ええんか?」
その言葉には、その夕食を準備する跡部は良いのか、という意味と、はそれで良いのかという意味が含まれていた。
「Eーんだよ。も今の学校で友達いないみたいだC?練習練習。」
「・・・俺は当て馬か。」
ぼそっと呟いたものの、慈郎には聞こえていないらしく、ぐいぐいと忍足を引っ張り始めた。
ばたん、と扉がいきなり開いたのは夕食も終盤に差し掛かった頃だった。
明日は土曜ということでこのまま泊まってゲームでもしよう、という話が出た直後だ。
「やぁ、今日は随分と大人数だね。不愉快だよ。」
入ってきたのは長身で黒いスーツに身を包んだ、細身の男だ。
その後ろには、おろおろと困っている柏木の姿もある。
「あれ、恭弥さん。」
「え、マジマジ?久しぶりだCー!」
恭弥を知らない忍足は、”不愉快”発言をさらっとスルーする一同(特に声をかけた鳳と慈郎)に驚いたが、彼がすっとトンファーを取り出したのにも狼狽した。
「、君、倒れたらしいね。」
「あ、あぁ、うん。」
嫌な予感がしてはごくりと口の中のものを飲み込むと、何か武器になるものは無いかと探り始めるが、あいにくとそんな物は無い。
「その根性、叩き直してあげようか。」
そう言って、にやりと笑った瞬間、と忍足を除いた面々は食べかけの皿を手にテーブルから離れ、はナフキンでナイフについているソースを手早く拭った。
「は?え?」
「忍足、早く退け。巻き添え食らうぜ。」
混乱してナイフとフォークを手に固まる忍足の前では、金属音が響きがナイフで恭弥のトンファーをいなす姿。それと同時に背後から忠告するのは景吾だ。
「なんやねん!」
「いいから早くしろ。死にたいのか。」
いやいやいやいや、平和な夕食中に死ぬだなんて、またご冗談を。と思ったのは一瞬のことで、すぐにもう片方のトンファーを受けて壁に打ち付けられたの姿を見て、さー、と血の気が引いた。
「って、止めんでええんか!?」
「いつもの事だ。」
食堂の隅には、いつのまにか柏木が運んできた簡易テーブル。それを囲んだ忍足とを除く面々は事も無げに食事を再開している。
ばき、と嫌な音がして、テーブルが真っ二つに折れる。
「また買い替えか・・。柏木。」
「はい。すぐに対応致します。」
「ちょぉ待てや!おかしいやろ!」
ティッシュなくなったから宜しく張りのテンションで言う景吾に、簡易テーブルをだんだんと叩きながら忍足は状況説明を求める。
「言ったじゃん。テニスやってる時。」
「は?」
「さんの、一番のストレス発散なんですよ。」
もぐもぐと口にものを入れて喋った慈郎をたしなめるように景吾が視線で文句を言うと、その続きを鳳が続けた。
「いくら此処が景吾の家だからって気を抜きすぎだよ、。」
「そんなこと言われたって・・!」
ぶん、と風を切って迫るトンファーを間一髪で避けながらは返す。
「ここにいるのが僕じゃない奴だったら、死んでるよ?」
一連の流れでなんとなく分かってきた。忍足はその予想が外れていないだろうとは思うが、未だに彼の若さと雰囲気から信じられずにいる。
それでも、確認せずにはいられなかった。
「ちゃんの保護者ってあの人かいな・・・」
ぴんぽーん、と気の抜けた声が慈郎から聞こえてきた。
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