Dreaming

君を照らす光 #6



3日もすると、は目に見えて回復し、ようやく景吾から登校の許可を得た。
それでも登下校は車で、しかも恭弥が帰ってくるまでは景吾の家で寝泊まりすることは強いられてしまうのだが、去年まではいつもの事だったのであまり気にした様子はない。


「雲雀さん、大丈夫?」


教室に入ると声をかけたのは原口佳代だった。
しかし、彼女は未だに頬にガーゼをしているし、左足を少し庇っている様子からそちらも怪我しているのだろう。
他人よりも自分の心配をしろ、とでかかる言葉を飲み込み、は頷いた。


「はい。荷物、持ってきてくれたんですよね、ありがとうございました。」
「ううん。でも、雲雀さんが跡部さんの幼馴染だなんて知らなかった。」


教室にいた数名の女子が聞き耳を立てるのを感じる。


「あぁ、はい。私もまさか原口さんが景吾の事を知っているとは思いませんでした。」


そう言いながら相変わらずカバンから本を取り出すの姿に原口は眉尻を下げた。
話しかければ言葉は返してくれるが、距離を縮める気が全く無いのは変わらない。
原口はその後二三言言葉を掛けると、自分の席に戻っていった。
そのやりとりに、”原口さんかわいそー”とつぶやく声がする。


「皆席につけー、お、雲雀、もう大丈夫なのか?」


担任が入ってきての姿を見つけると声をかけた。


「はい。ご心配をお掛けしました。」
「おー、無理すんなよー。」


始まったホームルームに、教室で話をしていた生徒の声が小さくなっていく。
ようやく邪魔されない時間がやってきて、は文字を追うのに没頭しはじめた。


相変わらず原口の頬にはガーゼが貼られているし、一部の女子がを批判したり原口を批判する声が聞こえてくる。
休んでいたのは3日だが、大した変化も無い。


しかし、翌日になってそれは起こった。
いつもどおり登校すると、学内の主に女子が騒がしい。


「やっぱり、原口さんって、テニス部の男子狙いだったんだー。」


教室に入ると、黒板の前に人だかりができているが、それが黒板の高い位置に貼り付けてあるからか、容易に見ることができる。


”悪女 原口佳代”


そう大きく描かれている紙の下には写真がプリントされてあって、どれもテニス部の男子とのツーショット。
親しげに話している所、恐らく食って掛かってきた女子生徒から守るつもりだったのだろうが、ぱっと見では分からない、肩を抱かれている所。


(暇人・・)


どれも盗撮のようで視線は正面を向いていない。ストーカー紛いの行動をしている人物がいる、ということだ。


「なんだよ、あれ。」


声がして視線を向けると、少し離れた場所に桃城が立っていた。
また何か忘れたのか。と思ったが、彼の隣に立っている人物を見て、少しだけ眉を寄せた。
青い顔をしている原口だ。


「なんで、こんな・・・」


目が潤み始める。また、嫌な目を見てしまいそうで、はすぐに目を逸らして席についた。


「誰が・・誰がこんな下らない事したんだよ!」


桃城が声を張り上げると、黒板の前の人だかりは散っていった。
怒りが収まらない桃城はつかつかと黒板に近寄ると音を立てて紙を引き剥がし、破り始める。
そんな、証拠を破るなんて、馬鹿だなぁ、と思いながら眺めていると目が合った。


「雲雀、これ、いつからあるん」
「私が来た時には既にありましたよ。」


極力、原口を目に入れないように答えると、桃城はだん、と黒板を叩きつけた。
明らかに下らない私怨。誰がやったのかなんて心当たりが多すぎてあぶり出すのは難しいだろう。


(まぁ、でも、こうなるまで放っておいたテニス部もテニス部だ。)


どっちみち自分には関係の無い話だ。
そう思っているのに、息を切らせて飛び込んできたもう一人の人物によって更に教室は騒がしくなる。


「佳代ちゃん!これ・・!」


飛び込んできたのは もう一人のテニス部マネージャーの牧田愛子だ。
彼女の手にある紙には同様に文字と写真がプリントされてあって、至る所に今回の張り紙がしてあることを悟る。


「牧田・・それ、どこにあったんだ?」
「私の教室の黒板に貼ってあったの。来る途中、他の教室も覗いたんだけど・・・」
「他の教室もかよ。」


頷いた牧田は気遣うように原口の肩に手を置いた。


「誰がこんなこと・・・酷いよ。」


泣きそうな顔で続けてつぶやく牧田に、原口は肩を震わせて顔を両手で覆った。


「くそっ!」
「桃城君、」


顔を歪めて牧田が持っていた紙を取り上げた桃城はそれを破ろうとするが、は静かにそれを止めた。


「破るのはやめたほうが良い。何か対策を立てるなら、きっと必要になりますから。」


そうは言っても、他の場所にも貼ってあるに違いない。それでも、証拠の品は多いに越したことは無いのだ。


「・・・そっか。そうだよな。」


紙は、ぐしゃりと握りつぶされるにとどまった。
と同時に牧田、原口、そしてクラスメートの視線が向けられて居心地が悪くなったはバッグを持つと立ち上がった。


「あ、おい、雲雀。どこに行くんだよ。」
「・・・少し、気分が悪いので。」


出ていこうとするに声をかけたのは桃城だったが、はそれだけ返して教室を出て行った。






















どうして、こうも面倒な出来事がぽんぽん出てくるんだろうか。
いつもどおり給水塔の上で本を読んでいたは、日が顔に当たり始めたのに舌打ちしてそこから降りると日陰に腰を下ろした。
自分が求めているのは静かな日常だ。面倒なつながりを作る気も無いし、ただただ淡々と日々が過ぎ去ってくれれば満足だというのに。


「・・・あの、雲雀さん。」


ドアが開く音。聞き覚えのある足音に顔をあげると、予想通り原口が立っていた。


「さっき、助言してくれてありがと。」
「助言?」


そんなことしただろうか。と首を傾げると、彼女は”桃城君が紙を破りそうになった時、止めてくれたでしょ?”となんとも言えない表情で言った。


「あぁ・・・気にしないでください。」


会話をさっさと終わらせようとするのに、原口は立ち去る素振りを見せない。
何か、声をかけてもらうのを待っているのか。


「・・・前、雲雀さん、私に言ったよね。虐められるのには私にも原因があるって。」


やっと口を開いたと思ったら、あまり思い出したくない時のことを言い始めては眉を寄せてようやく原口を見上げた。


「確かに、私、いい気になってたと思う。他の女の子に目もくれないテニス部レギュラーが私の事結構気にかけててくれてて、気軽に声をかけてくれて、優越感っていうのかな。それは、あったと思う。でも、」


眉尻が次第に下がり始め、潤む瞳に、ますますは眉を寄せた。


「それだけで、こんなに酷いこと、されなきゃいけないのかなぁ・・」


しまいにはぐすぐすと鳴き始めた原口を前に、は自分を落ち着かせるようにため息をついた。
彼女はどうとったのかそれに肩を震わせて怯えたような目をするが、構うことは無い。


「自分がどういうつもりか、だなんて余り他人にとっては関係無いんですよ。重要なのは、他人から見た時にどう感じるか。ある人は、自分が好意を寄せている人だけじゃなく他の人にも媚びてるように見るかもしれないし、ある人はまじめに、良好な関係を築いているマネージャーとして見るかもしれない。人が考えていることなんて誰も分からないし、誰も強制することもできない。」
「・・・雲雀さんに、私はどう見えてる?」


問われて、は苦笑した。


「忘れたい、悪夢を見せられてる気分ですよ。」


彼女は、周りから下らない男に捕まった挙句孕まされた馬鹿な女と罵られ、それでいて自分で状況をどうにかしようともせず、無力な幼児に助けを求めるか、帰ってはこない男に縋るしか出来なかった母親にそっくりだ。


「あく、む・・?」
「原口さん、私にはどうしても忘れられない過去があります。貴女は、その過去に出てくる登場人物に似ている。」


は背を預けている給水塔の壁に頭をごつんと打ち付けて空を見上げた。


「・・・私も馬鹿かもしれない。放っておけば良いのに、忘れてしまえば良いのに、未だに囚われたままで、弱い人間のままここまで生きているんですから。」


言っている意味がよくわからないのか、原口は涙に濡れた目をしたまま首を傾げた。


「とにかく、私が言えるのは、苛めが始まってすぐ対策を立てなかったテニス部。問題を楽観視していた貴女。それがここまで事を大きくしたということです。これ以上状況を悪化させたくなければ、貴女はテニス部の方と話し合って、打開策を考えていく事が必要ですよ。」
「そんなこと、言われても・・・もうすぐ夏の大会も始まるし、そんな余裕・・」
「なら、貴女が泣き寝入りするしかない。」


ぐ、と原口の口に力が入った。
目は、助けてほしい、と語っている。
それを見なかったふりをして、は立ち上がると屋上を後にした。
ゆっくりと階段を降りていると、見覚えのある男がを見て立ち止まり、手を軽く上げる。


「雲雀、」
「はい。」
「原口、知らねぇか?」


問われて、は屋上へ続く階段を見上げた。


「彼女なら屋上で会いました。」
「そっか。サンキュ。」


答えると、にか、と笑って彼は階段を駆け上がっていく。
そんな悲観的にならなくたって、彼女の周りには、以前と原口がいるところに割って入り自分を守ろうとしてくれた不二や、今のように探しまわっている桃城がいる。
素直にすべてを話して、助けを求めれば彼らは応えてくれるだろう。


(・・・って分かっていても、手を伸ばせないのは私と同じか。)


つまるところ、原口はの母の面影をちらつかせるだけではなくて、自分の情けない部分をも見せてくれる、本当に”悪夢”ということだ。

は階段に座ると、ポケットから携帯を取り出してメールを打ち始めた。























景吾はそわそわとテニスコートから入り口を確認していた。
から突然、今日練習を見に行っても良いかと尋ねられたのは1時限目が始まってすぐのことだった。
一度だけ、見学に来た事があったが、その時ギャラリーの多さに辟易してそれ以来来ていなかったというのに、どういう風の吹き回しかと思うと同時に、何かあったのだと直感的に悟る。


「あれ、さん?」


部員に指示を出していると、鳳の声が聞こえて、景吾は入り口を見た。
コートの周りをぐるっとギャラリーがひしめいているが、フェンスの入り口にあたる場所は何かと出入りがあるため、空けるように言っている。
そこに人がいる、しかも、氷帝の制服ではなく青学の制服を身にまとっているは酷く浮いていた。


「あぁ、鳳、入れてやってくれ。」
「はい。」


鳳は返事をすると、走って入り口へと向かった。
それにつれてギャラリーの声も大きくなるが、鳳もも全く気にした風には見えない。


「長太郎くん、この前はお見舞いありがと。」
「いえ、元気になったみたいで良かった。」


そう言いながらフェンスの鍵を開けてを中に招き入れる。


「でも、珍しいですね。さんが見に来るなんて。」


笑顔のまま、”でも嬉しいです”と続けると、は困ったように笑って景吾を見た。


「いつまでも、景吾に甘えてちゃダメなんだろうけど、ね。」
「そんなこと無いですよ。跡部部長はそれが嬉しいみたいですから。」
「そうかな。」
「そうです。」


押し問答のようにそれを続けて、はようやく笑った。


「なんや、鳳はかわええ子連れ取るやないか。」
「忍足先輩・・・」


忍足がにやにやしながら近づいてくると、はさ、と表情を無くし、鳳はさり気なく彼女を背後に立たせた。


「ん?なんで隠すねん!」
「あ、いや、隠す・・というか、その・・」


なんと言ったものか、と迷っていると、遠くから景吾の怒鳴り声が飛んできた。


「忍足!さっさとコートに戻れ!!」
「あー、全く、煩い部長やな。折角かわええ子と話そうと・・」
「忍足先輩、行かないとコート走らされますよ。」


鳳にまでそう言われて、それが意外だったのか、忍足は一瞬目を丸くしたが、おとなしく走ってコートへと戻った。


「さぁ、行きましょう。さん。」
「・・ありがと。」


既にの視線の先には景吾がいて、ようやく落ち着いた表情をしている。
もし、敵意を持って彼女に接していたのなら、はそれに対して敵意で返せた。しかし、それ以外の、例えば柔和な空気で話しかけてくる人や探りを入れてくるような人物に声をかけられると、はどうして良いか分からなくなってしまう。


「あー、ちゃんだ!」


既に内外の視線を集めているに気づくのは当然だろう。その中で慈郎は飛び起きると彼女に向かって走ってくるとその手を握ってぶんぶんと振り回した。


「鳳、跡部の所には俺が連れてくから、練習に戻ってよ。」
「あ、はい。分かりました。」


返事を聞くと、は引きずられるようにして慈郎に引っ張られて行ってしまう。
その後姿を見送って、鳳は立てかけておいたラケットを取って宍戸の方へ向かった。


「俺、この後試合なんだ。見ててよ!」
「そうなんだ。うん、分かった。見てる。」


慈郎はにっこりと笑って、景吾の前で止まった。


「そこに座ってろ。」


景吾は自分のラケットと慈郎のラケットを手にすると、背後にあるベンチを目で指した。


「景吾も試合?」
「あぁ。ジローとな。」
「負けないCー!」


景吾からラケットを受け取った慈郎は挑戦的にもそう言うと、走ってコートに入った。
それに習って景吾もコートに入る。

景吾のテニスをする姿は好きだ。
勝利だけを考えてまっすぐに戦う姿を見ていると、それに夢中になって自分の事を考えずに済む。


だから、今日もまっすぐに景吾と慈郎が戦う姿だけを見つめていて、外野にどういう目で自分を見ている人物がいるかだなんて全く気づかなかった。


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2013.12.15 執筆