悲鳴が聞こえて、俺は飛び起きた。
至近距離、震える毛布。
「おい、どうした!」
サイドテーブルの明かりだけつけて、顔を枕に押し付けているの肩を揺する。
彼女はおっかなびっくり枕から顔を上げた。
「?」
涙で顔はぐしゃぐしゃで、自分で掻き毟ったのか、頬には引っかいた線が残っている。
「私の顔が、お父さんに似てるって」
また、顔を掻き毟ろうとする手を押さえつけるとは眉を寄せてぼろぼろと涙を零した。
「だから、お母さんは、私を殺そうとしたんだって」
「・・・」
恭弥さんから、は7才までの記憶があやふやだと聞いた事がある。
防衛本能から、消したんだ、と。
「でも、お母さん、おかしいの。私に、助けてって、言うの。」
「」
「助けてって言いながら、私の首を・・」
「もういい!」
俺は必死にを抱きしめた。
ぐずぐずとは泣き続ける。
「もう、お前の母親はいない。だから、もう良いんだ。」
廊下を走る音がする。の悲鳴を聞きつけたのだろうか。
「お前の傍には俺がいてやるから。誰も、もうお前に手をあげることなんて、しない。」
ドアが開くと、の身体が恐怖に縮こまる。
「景吾様、今、悲鳴が・・」
「・・・が、悪い夢を見たんだ。」
柏木は俺をみて、そしてぐずぐずと泣き続けるを見た。
「然様ですか・・。目が覚めてしまいましたか?ホットミルクでもお持ちしましょうか。」
「あぁ、頼む。」
腕の中にいるは俺の胸に顔を押し付けたままだ。
「、落ち着いたか?」
「・・・」
俺のパジャマを掴む手に力が入る。
「・・・怖い」
「怖くねぇだろ。俺がいるんだぞ。」
ゆっくり、パジャマを掴む手を外していって、その手を握った。
「俺が間違ったことを言ったことあったか?ねぇだろ?」
「・・・うん。」
「俺の隣にいれば良い。お前が手を伸ばせば俺は絶対掴んでやる。俺だけじゃねぇ、恭弥さんだってディーノさんだって、柏木だって。」
掴んでいる手に力を篭めると、ようやくは手を握り返した。
「ホットミルクをお持ちしましたよ。」
話が終わるのを待っていたのだろう。タイミングよく入ってきた柏木はテーブルの上にホットミルクの入ったマグカップを二つ置いた。
「あぁ、悪いな。」
俺はの手を引いたまま立ち上がって、ソファに座った。
一つ、マグカップを取ってに渡してやると、大事そうにそれを両手で受け取る。
「柏木、明日は動物園に行くぞ。学校は休む。」
「承知いたしました。」
「あと、が氷帝の幼稚舎に転校できないか恭弥さんに聞いてくれ。」
がびっくりしたように俺を見る。
「・・・承知いたしました。」
柏木も驚いたのか、少し間を空けたあと、頷いた。
眼を覚ますと、カーテンから薄く西日が差し込んでベッドの横に椅子を引き寄せて座っている景吾の手元を照らしているのが見えた。
すぐに景吾も私が眼を覚ましたのに気がついて本から視線を上げて、視線がかち合った。
「起きたか。気分はどうだ。」
「ん。大丈夫。」
そう答えて身体を起こそうとすると、景吾が引っ張ってくれた。
「部活は?」
「どっかの誰かさんが気持ちよさそうに寝てるから、行くのが馬鹿馬鹿しくなって、な。」
「・・・ありがとう。」
景吾はわざとこういう言い方をする。私が、気まずい思いをしないように。
「随分顔色も良くなったな。」
「そうかな。」
水の入ったグラスを手渡されてそれを口に運んだ。
空になったグラスを差し出すと、それを左手で受け取り、右手を伸ばして私の額に触れる。
「熱は、まだ少しあるな。滋郎と鳳が来たがってるが、会えそうか?」
「うん。」
ジロー君と長太郎君に会うのは久しぶりだ。小学校を卒業してから2,3回しか会っていない気がする。
懐かしい。あの夜、本当に景吾は柏木さんに電話させると、恭弥さんに小学校を氷帝に移させる約束を取り付けてしまった。
最初は、今まで小学校では人に関わらないようにしてきたのに、計算したかのように少しずつ景吾の友人を紹介されて、彼は私に友人を数名作ってしまった。
「・・・しばらく連絡取ってなかったから、怒ってるかな。」
「それくらいで怒るかよ。文句は言われるかもしれねぇけどな。」
それを聞いて、ようやく表情が緩んだ。
起きたら、何があったのか聞かれると思っていたのに、景吾は聞いてこない。
聞かれたら、なんて言えば良いのか分からないから正直助かる。
いや、きっと聞きたいけど、私が自分から言うのを待ってるんだろう。
「食欲はあるか?」
「う・・ん。多少は。」
「二人が来るまで時間がある。何か食うか。」
そう言って景吾は立ち上がった。
柏木がノックしたと思ったら、ドアが開いて慈郎が飛び込んできた。
慈郎を止めようとしていたのか、鳳の手が虚しく空を切っているのが遠目に見えて苦笑してしまう。
「ちゃん!大丈夫!?」
に抱きついて振り払われないのは、俺か慈郎くらいだろう。
最初抱きつこうとしたら無表情で拒否られて沈んでいたんだがな。
「うん。もう大丈夫。」
「ま、大事は取って数日休ませるがな。」
医者に尋ねたら軽い脱水症状と心労だと言っていた。
脱水症状だけなら明日行かせて体育さえ休ませれば良いだろうが、心労だとそうは行かない。
何が原因かは分からないが、学校生活の何か以外考えられねぇ。
しばらく休ませて、できれば氷帝に移したいところだが、青学に行くのはたっての希望だった。おそらく、は首を縦には振らないだろう。
「ということは、暫くは跡部さんの家にいるんですね。」
2人はの保護者が家をよく空ける事を知っている。
そして、俺が迎えに行ったということは、今も保護者がいないということを分かっているのだろう。
ほっとしたように言う鳳に慈郎も口を開いた。
「じゃぁ明日もお見舞い来るCー!」
「明日は宍戸さんも誘いましょうか。今日は用事があると言ってましたが、本当は来たがってたんですよ。」
「そっか。亮君も、ずいぶん会ってないな。」
小学校の時、よく一緒にいたのは景吾と長太郎君、ジロー君、そして亮君だ。
私は当時から人見知り、というか人と距離をどうしても置いてしまってたけど、この3人は根気よく私と一緒にいてくれた。
人が怖い、友人なんていらない、なんて言う癖に私は寂しがりやだったのかもしれない。
だって、彼らがいると、景吾といる時とは違った安心感がある。
いつの間にか時間が過ぎ、日がとっぷりと沈んだ頃、彼らは家を後にした。
明日も必ず来る、と言い残して。
「何だ?」
お風呂に入って、もう一度軽く食事をして寝支度を済ませた私は、私の部屋になってしまっているこの部屋のベッドに横になり、そのすぐ隣でベッドに腰掛けている景吾はパソコンに何かを打ち込んでいる。
「別に。」
じっと景吾を見ていると、その視線に気づいた景吾が私を見下ろしてきた。
「・・・最近、なんて言うか、よく見かける子がいて。」
「・・・今日会った、原口ってやつか?」
言い当てられて私はなんと言ったものか、と言葉を詰まらせた。
「あの子、苛められてて、その場所を偶然通りかかった・・ていうか、話し声がしたから気になって見に行ったんだけど、その時、女の子に囲まれて蹲ってたあの子と目が合ったの。」
もう景吾の指はキーボードを叩いていない。まっすぐに視線が降りてくる。
「その目が、お母さんが私に助けてって言う時と同じ目で」
「それで、助けてやったのか。」
「助けたっていうか、その目を見ていると気持ち悪くて、追い払ったんだけど、そのせいか、今日授業中うたた寝してたら昔の夢を見て・・。」
あの目が脳裏に浮かんで私は頭を振った。
「私、いつまでこれを引きずるんだろ。」
「・・・そう簡単に振りきれるもんじゃねぇだろ。」
ゆっくりと降りてきた手が私の頭を撫でる。
一時期、というか今も人の体温を感じるのは苦手だけど、景吾は何故か安心する。
自然と委ねるように目をつむった。
「大丈夫だ。俺がそばに居てやる。」
「・・・なんか、ごめ・・じゃなかった、ありがと!」
ごめん、と言いかけたら撫でていた手が止まってみしみしと頭を掴んできたので、慌てて言い直す。
「今日は久しぶりに一緒に眠ってやるよ。あぁ、絵本もいるか?」
「・・・景吾、私もう中学生だよ。」
そう言いながらベッドに入ってきた景吾はぎゅうぎゅうと苦しいくらいに私を抱きしめた。
耳を澄ませると、彼の心臓の音が聞こえてきて心地良い。
「悪い夢を見たら遠慮なく起こせ。」
「・・・ん。」
温かい体温にうとうとと眠気が襲ってくる。
そのまま私は意識を手放した。
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