幾分が落ち着いた頃、看護士から連絡があって、青学の教員が面会を求めてきた、とのことだった。
他にも生徒が数名いると言っていて、正直に会わせるのはどうかと思ったが、青学の教員には少し話をしておきたい。
教員だけ通すように言って、にそのことを伝えると誰だろう、と首を傾げていた。
「女っつってたが、担任じゃねぇのか?」
「担任は男だよ。」
そしてノックされる音。入るように言うと、ボディーガードがドアを開く音がした。
「青学の教員の方がいらっしゃいました。」
入り口から中が見えない構造になっている為、彼の顔は見えないが声だけで入ってもらうように言うと、少しして見覚えのある顔が飛び込んできた。
「・・・貴女は、テニス部の・・」
「・・跡部かい?」
入ってきたのは青学テニス部の顧問。竜崎先生だった。
と彼女の接点なんて何も無いのに何故、と思ったが、隣の部屋にいるのはテニス部のマネージャー。彼女の様子を見に来たついでにここに顔を出したということだろうか。
「お久しぶりです。」
少し頭を下げると、俺の隣のが所在なさ気に窓に視線をやっているのに気がついた。
「とは昔からの付き合いで、彼女の保護者が家を空ける時は私の家で預かっているんですよ。」
「ほぉ・・・また意外なつながりがあったもんだ。」
椅子を勧めると遠慮無く彼女は椅子に腰掛けてを見た。
「ちゃんと話すのは初めてじゃな。まず礼を言う。」
その言葉には困ったように俺を見上げてきた。
黙って聞いてろ、と小さくつぶやくとまた竜崎先生に視線を戻す。
「うちのマネージャーを助けてくれて、ありがとう。がいなかったら即死だったと聞いた。本当に、ありがとう。」
は、それに何て返して良いのか少し悩んだあと、ゆっくり口を開いた。
先ほどまでの戸惑いは、もう表情にない。表情が、無い。
「気にしないで、下さい。」
「しかし、お主も怪我が酷いじゃろう。」
首を横に振ると、そのつやつやとした黒髪が流れる。
「こんなの、大したこと無い。」
「・・・。」
本当に何でもないことのように言ったに思わずたしなめるように彼女の名前を呼んでしまう。
「だって、私は意識があるから。」
暗に、原口の意識が戻らない事と対比しているのがありありと分かって、俺はやるせなくなる。
ここまでが深く、原口の事を気負うのは恐らく、彼女がの地雷を踏んだのだろう。
母親、という地雷。
の中で母親という存在は大きい。あり得ない位に。
それでも、その見えない母親からの脅威からを守ってやれるという自負をついこの前まで俺は持っていた。
だが、まだ、足りない。を脅かす黒いものから守ってやりたいのに。
「原口は、眠っているだけだ。そのうち目覚める。だから、お前は自分の体を治す事に集中しろ。」
根拠の無い言葉だが、それしか俺は言えなかった。
2,3言葉を交わして、運ばれた当日に押しかけて申し訳ない、という言葉を最後に竜崎先生は立ち上がった。
入り口まで見送る、という口実で先生と一緒に部屋を出た俺はすぐに部屋の入り口で見張っていたボディーガードに声をかける。
「が妙な真似しねぇように見といてくれ。」
「かしこまりました。」
頭を下げたボディーガードは扉を開いて中に入っていく。
本来なら柏木以外に面倒を見させたくは無いが、彼は今入院のためにの私物を取りに家に帰っている。
「・・・随分と過保護じゃな。」
歩き始めると、そう声をかけられて、俺は少し驚いて先生を見下ろした。
「とは初めてちゃんと話をしたが、不思議な奴じゃ。」
「・・・不思議、ですか。」
確かに、他人から見たはそういう印象になるかもしれない。
いや、普通なら無愛想な奴って言うだろう。それをオブラートに包んだのか、それともそのままの意味か。
「お主には随分と心を許しておるようじゃ。を見ることは何度かあったが、」
ふむ、と先生は思い出すように自分の顎をなでた。
「目に止まったのは、あの無表情さ。学校ではそれ以外の表情を見たことがない。人と関わるのを拒絶してるようじゃった。」
実際、拒絶してるのは先生も分かっているだろう。
「それでも、身を挺してうちのマネージャーを庇ってくれたのは、本当に有り難い話じゃ。何がをそう動かしたのかは知らんが、本当に感謝してると、伝えてくれんか。」
「もう十分、ご自分の口で伝えられてたじゃないですか。」
そう返すと、先生は肩を竦めてみせた。
「それでも、じゃよ。」
そういう彼女の目は、少し疲れの色が見えた。
今回の事件、事故となるように跡部からも圧力をかけては置いたが、矢張り学校としては大きな事件だ。
その学校の教員である上に彼女が所属していた部の顧問。学校側からいろいろ聞かれただろうし、生徒への説明もあっただろう。
「命を救ってくれたのだから、いくら礼を言っても足りんよ。」
何故か、泣き崩れながら礼を言っていた原口の両親の姿を思い出した。
竜崎先生を見送った後、部屋に戻っていたら、見覚えのある男が俺に向かって軽く手を上げた。
「よ。今からちゃんのとこか?」
の手術の執刀医、シャマルだ。
本来なら運ばれた先の病院で手術するところだったが、それよりは信用出来るボンゴレの息のかかっている病院でと移動させたら、偶然シャマルが日本に来ていると聞いたのだ。
腕は確かだが、性格には難ありのこいつをに会わせたくは無いが、主治医である以上仕方がない。
「あぁ。妙な真似するんじゃねぇぞ。」
「妙な真似って・・また厳しいねぇ・・」
軽く笑いながらも隣を歩く。
もう日が暮れ始めて、窓から差し込む光が赤い。
「が、腕だけは信頼してる。」
「おーおー、嬉しいじゃないの。でも残念ながら明日にはイタ戻るんだわ。」
その言葉に、余り驚きは無かった。シャマルがここにいたのは予想外。はなから長い滞在だとは考えてはいなかった。
が、明日とは予想以上に早いな。
「心配しなくてもあの様子だと傷は残らんねぇよ。問題は精神面だな。」
それは重々承知だ。
は、肉体面では俺以上に強い。それは、恭弥さんの教育の賜物だ。
だが、恭弥さんでも精神面でを強くすることは出来なかった。
「はー、原口佳代の方も外傷は酷く無いんだがなァ・・・」
がしがしと頭を掻いたシャマルはメモをポケットから取り出すと俺に押し付けた。
「ま、何かあれば連絡くれ。」
それを最後に、シャマルは病室のドアを開くといつもの調子で中に入っていった。
俺もちらりと隣の、原口の病室を見た後中へ続く。
「よ、ちゃん。調子はどうよ。」
「・・・すっかり元気です。」
そんな回答が聞こえてきて俺はため息をついた。
「ベッドから動けない奴が、何が元気、だ。」
シャマルがに手を伸ばす前に押しのけると後ろから舌打ちが聞こえてきた。
繰り返しになるが、腕だけは良いんだが、残念な医者だぜ。
「悪くは無いみてぇだな。けど油断は禁物だ。2週間は絶対安静だからな。」
「分かりました。」
が頷くのを見て俺に向き直ったシャマルは碌でもない事でも考えてるんだろう。
酷く癇に障る笑い方をしている。
「後は俺が見るから、景吾は家に帰っていいぞ。」
犬を追い払うかのように払う動作をする手をばしりと掴んで捻り上げるとシャマルは苦しそうにうめいた。
「お前に任せられるか。今日は俺も泊まる。」
「はぁ?」
シャマルはマヌケな声を上げて、そしてはっとしたようにが横になっているベッドを見た。
「まさか、病室のベッドを取り替えたのは・・・」
「あぁ。俺も泊まる為だ。」
この部屋のベッドは、病室に若干不釣合いなキングサイズのベッド。
勿論、この病院のものではない。が入院すると聞いてすぐに手配させたものだ。
「って、一緒に寝る気か!羨ましい!!!」
「うるせぇ。」
十中八九、は夜中目を覚ますだろう。
その時に、慣れない病室に1人ではいさせたくない。
その意図が分かったのかどうかは知らないが、まだぶつぶつと文句を言いながらもシャマルは病室を出て行った。
ようやくを見下ろすと、彼女は驚いたように俺を見上げている。
「どうかしたのか?」
「あ、いや、まさか景吾が泊まるとは思ってなかったから。」
それを鼻で笑ってベッドに腰掛けると、の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。
「どーせ夜びーびー泣くんだろ?仕方ねぇから一緒に寝てやるよ。」
「・・・・ありがとう。」
ようやく、の笑った顔を見た気がした。
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