初夏のこの季節。やはり昼間になると暑い。
自宅付近のファミレスでコーラを啜っていたはううん、と唸った。
テーブルの上には宿題が広げられていて、もう殆ど終わっている。
「さん、いつ、あの2人と会いましょうか。」
愛弟子そして好敵手との再会を待ちわびる佐為に、は頬杖をついて彼を見つめた。
「いや、催促は来てるんだけど、どこで、とか、どのタイミングで、とか考えてたら面倒になっちゃって。」
はぁ、とため息をつく。
勿論理由はそれだけでは無い。それを佐為も分かっているのか、緑茶をこくりと飲んだ。
「・・・私も、いざ会う、となると少し怯んでしまいますが、それよりも再び対局することに対する好奇心が大きいんです。」
佐為は良いよね。とは口には出さない。
たとえ向こうに記憶が無くても、彼らには囲碁がある。
とアキラには、そんなもの、無いのだ。
少し視線を下げて黙ったままのに、ちらりと佐為は視線をやった。
「さん」
そして思い切って名前を呼ぶ。
「来週の土曜日、アキラ君と対局することになりそうなんです。恐らくその場には・・・」
上手く感情が読み取れない顔で話を聞いていたが、急に一点を見つめて目を見開く。
視線は佐為には向いていない。彼の、後ろだ。
「?」
不思議に思って、佐為は彼女の視線の先を追った。
そして、あ、と思わず声を上げる。
見慣れた、否、この生を受けてからは初めてまみえる、人。
「ヒカ・・むぐっ」
その人の名前を呼ぼうとしたら口を塞がれて、佐為はその主を見た。
「いきなり名前呼び捨てで呼んだら怪しいでしょっ」
小声で窘められて、それもそうか、と佐為は息を飲み込んだ。
そろりと離された手は元の位置に戻り、もソファに座りなおす。
「あれ、?」
しかし、立ち上がったから視界に入ってしまったようだ。ばっちりと視線が合ったヒカルは目を瞬かせた後、大きく手を振った。
(佐為、紹介するまで喋らないでよ!)
(分かりました!)
小声で言葉を交わして、なんとか笑顔を浮かべる。
「神谷君、1人?」
「あ、いや、後からアキラ・・俺の兄貴が来るんだけど・・」
近づきながらヒカルの視線が佐為に行く。
目を大きく見開いたのは佐為だけではなく、ヒカルもだった。
まさか覚えているのだろうか、と思うものの、その予想は外れる。
「あ!アンタ、の兄貴だろ!月間囲碁で見た事あるぜ!」
ぱっと顔を輝かせたヒカルは無遠慮にもの隣に座ると、佐為の方に身を乗り出した。
やはり覚えていないのか、と落ち込んで良いのか、偶然にも会えた事を喜べば良いのか。
佐為はあいまいに笑った。
「こんな所で会えるとはなー。あ、アキラ!こっちだ!」
入店の合図が鳴ると同時に視線を上げたヒカルは、回りがはっとする程の大きな声で入ってきた兄を呼ぶ。
その瞬間、はどくん、と自分の心臓が大きく音を立てるのを感じた。
ゆっくりと視線を上げると、少しだけ昔とは異なるが雰囲気も目も似通った彼の姿に言葉が出ない。
「おっせーよ。」
「・・・知り合いか?」
アキラは弟の隣に座る見慣れないの姿に戸惑いつつも、席までやってくる。
「おう!クラスメートの。でこっちがその兄貴で囲碁棋士の・・」
「?」
勿論、既に顔見知りである佐為の姿に、アキラは首を傾げた。
「え、知り合いなのか?」
「あぁ、クラスメートだ。」
「何だよそれ!」
憤慨したようにヒカルはだんだんと足を鳴らした。
大方予想できた反応に苦笑しながらも、アキラは断って佐為の隣に座る。
「言うとお前、煩いからな。一度手合わせするまで黙っとくつもりだったんだ。」
「おーおー、俺の兄貴は優しいことで!」
ふてくされるヒカルをよそに、アキラはに視線をやる。
先ほどから固まったまま動かなかったはそれに、はっとすると、ぎこちなく笑顔を浮かべた。
「のクラスメートの、神谷アキラです。」
「あ、です。」
思わず自己紹介を返すと、アキラは、ん、と首を傾げた。
「・・・どこかで会ったことありますか?」
「「えっ?」」
その言葉に2人はどきりとする。
しかし、言った本人はきょとんとしており、本当に何となく言ったのだろう。
アキラの正面に座っていたヒカルは笑いながらテーブルを叩いた。
「何だそれ、ナンパかよ。珍しいな!」
「そういう訳じゃない。」
からかうようなヒカルに、アキラは少しむっとして返すと、申し訳なさそうな顔を作ってを見た。
「すみません、初対面ですよね。あの、本当にナンパとか、そういうのじゃ無いんで・・」
「あ、別に、良いです。気にしてないんで。」
何とか言葉を紡いで、はコーラの入ったグラスを手に取った。
既に炭酸が抜けてしまっているそれは、少し温い。
「つーか、。お前何やって・・・って、そんな宿題あったか?」
の正面に広げられているプリントを覗き込んだヒカルは嫌そうに顔を顰めた。
こういう所も、”前”とそっくりだ。は苦笑しながらも頷く。
「数学の宿題。昨日出されたじゃん。」
「マジで!?あのさ、それ・・・」
「写させろ、とか言うなよ、ヒカル。ちゃんとやれ。」
言葉を遮られて顔を引きつらせたヒカルは、じろりとアキラを見た。
「だぁー!うるせーな。良いだろ、別に。」
「良い訳あるか。」
ち、と舌打ちしたヒカルは不貞腐れてメニューに手を伸ばした。
そういえば、2人は何で此処にいるのだろうか。昼食にしては遅い。
「はー、それにしても、とその兄貴はあんま似てねぇな。」
「神谷君とそのお兄さんもね。」
言い返すと、じ、とヒカルに見られて、は誤魔化すようにまたコーラを飲んだ。
空になってしまったソレはずず、と音を立てる。
「つーかさ、2人とも同じ苗字だから面倒臭ぇな。名前で良いか?」
それは願っても無い申し出だ。ヒカルはともかく、アキラのことを”神谷君”だなんて咄嗟に呼べる自信は無い。
が頷くと同時に、佐為がずい、と顔を出した。
「あ、あの、是非私のことは佐為、と、呼び捨てにしてください。」
「え、良いのか?」
はい!と元気良くうなづいた佐為に、ヒカルは戸惑いながらも了解の意を示す。
どうやら少し遅い昼食を取りに来た二人は昼食を食べ始め、結局その後もいくらか話をして日が暮れる前に別れた。
勿論、次碁会所で会う約束をして。
「来週が楽しみですね、さん!」
喜びを隠し切れない佐為とは対照的に、はいたって冷静だ。
どうしたのだろうか、と佐為は首を傾げる。
「どうかしましたか?」
思案顔のの顔を覗き込みながら言うと、彼女は視線を佐為に向ける。
「いや、考えてみると、アキラ君と私って接点無いなぁーって。前は、佐為が打つ為には私が居なきゃいけなかったでしょ?今は、私がいなくても打てるから・・・。」
佐為は眉を下げる。
確かに、今のアキラとの関係はクラスメートの妹で、弟のクラスメートという、どうも希薄な関係だ。
「やはり、囲碁、やりましょうよ。」
「・・・やだ。」
頑なに拒むは息をつくと、前を向いた。
「まぁ、良いよ。次の土曜は私合気道の試合あるし、佐為は楽しんできて。」
そう言って少し笑った彼女は少し悲しそうな顔をしていた。
夕方になると大分涼しい。
ヒカルは隣を歩くアキラをちらりと見た。
彼は難しい顔をして歩いている。
「どうしたんだよ、アキラ。」
「・・・いや、彼女、さんだっけ。」
まさかクラスメートの名前が出てくるとは思わなかったヒカルはびっくりしたように目を瞬かせた。
「何だよ、一目ぼれか?」
「違う。ただ、本当に見た事があるような気がしただけだ。」
にやにやしながら言うヒカルに嘆息しながら言うが、確かに傍から見れば言い訳にしか聞こえない。
「月曜、彼氏いるか聞いとくぜ。任せろって!」
色恋沙汰にはとんと興味が無かったアキラが初めて興味を見せた女性。
ヒカルはこれは良いからかうネタになる、と嬉々として言う。
「考えてることが丸分かりだ。余計な事するなよ。」
嫌な予感しかしない、と、アキラは軽くヒカルの頭をはたいた。
<<>>