高校2年の夏。転入生がやってくるという報せに落ち着きなくざわめくクラス。
2年D組担任の白河は持っていた出席簿で教卓を叩く。
「分かった分かった、落ち着け。」
この年頃の子供たちは扱いが難しいとよく言われるが、幸か不幸か素直な子たちが多いこのクラス。
騒ぎ始めると手がつかないが、好奇心は旺盛。
「ただの転校生じゃないぞー」
こう餌をちらつかせれば、話すのをやめて目を光らせて白河を見つめる。
「なんと、イタリアからの転校生だ。」
その瞬間、教室が揺れた。
それに苦笑しながら白河は転校生に入ってくるように声をかける。
ためらいなくがらりと音を立て始めたドアに、生徒達は白河から視線をドアに移した。
颯爽と入ってきた転校生は一つに結った長い黒髪を揺らして頭を下げた。
「雲雀です。」
にこりとも、よろしくとも言わないに生徒達は興味津々だ。
何も言っていないのに、いくつか生徒から質問があがり、は一言二言で答えるがやはり笑顔はない。
今朝の顔合わせの時も思ったがこれは無愛想すぎやしないだろうか。イタリアから来ると聞いた時はどんな愉快な子がくるかと思ったのに。
「雲雀の席は左後ろの空いてる席だ。まだ教科書届いてないだろ?切原!見せてやってくれ!」
「えーなんで俺が・・・」
不満そうに声を上げた切原は嫌そうに顔を歪めた。
その彼と目があったは無表情のまま席に向かう。隣の席なので自然と距離が縮まり、しかもの反応に切原の表情も自然と険しくなる。
「・・愛想のねーやつ。」
ぼそりと呟かれた言葉を拾ったは呆れたようにため息をつく。それにカチンと来ないはずのない切原は舌打ちをして顔を伏せた。
転校初日はわらわらとクラスメートや隣のクラスの生徒たちに声をかけられたが、いつも通り淡白に受け答えをしているとそれも沈静化する。一週間もすればの周りは落ち着き始めて、一ヶ月後。すっかり平静そのものだ。
全く周りと話さないわけではなく、比較的静かなクラスメートや分け隔てなく接してくるクラスメートとは適度に言葉を交わし、昼食もたまに、ともに取ったりする。
ただの平和な日常の連鎖には欠伸を噛み殺しながら教科書を開いた。
教科書は転入翌日に届き、隣の切原に嫌々見せてもらったのは1日目だけだ。
(ひま・・・)
しかも今は英語の授業中。イタリアにいた間学校は英語だったため日本語か英語しか使わなかったゆえにイタリア後はほぼ全く身につかなかったが逆に英語は上達した。
「おい切原!お前この前のテストもその前のテストも赤点だったくせに居眠りとはどういう了見だ!」
怒鳴られた居眠りをしていた切原はびくりと体をゆらして目を開けた。
眉を釣り上げる教師と目があってようやく状況を理解する。
「そんな切原には後で特別に課題をやろう。」
「げぇー」
にやりと笑った教師に思い切り嫌な顔をしてみせるも彼はそのまま授業を再開させた。
かつかつとチョークの音が響き始め、切原はため息をついて仕方なくぺらりと教科書を捲った。
記号の羅列にしか見えない文面が簡素なイラストと共に綴られている。
(だめだ。わかる気がしねぇ。)
また一つため息をついて窓の外を眺めようとすると自然と隣の席のが目に入る。
その頭がこくりと下に下がったのを見て、目を見開くと、切原はすぐさま手を挙げた。
「せんせー、雲雀も寝てますけどー。」
その声に振り返る教師と、ぱちりと目を開いた。
お前も怒られろと内心ほくそ笑むがその予想に反して、教師はにやにやと笑っている切原に呆れたように言葉を返した。
「切原。言っておくが雲雀は編入試験の英語満点だ。まぁ、だからと言って居眠りは頂けないが・・・」
「・・すみません。」
目をこすりながら謝るに、教師は少し考えたあと閃いたように手を叩いた。
「よし。雲雀には今日切原に出す課題を手伝ってもらう。答えを教えるんじゃなくてちゃんと解き方教えてくれよー。」
「・・・はぁ、わかりました。」
「は!?」
仕方なく返事をするの横ではやはり嫌そうな、不満げな声が聞こえてくる。
教えるなんて面倒なのを引き受けるというのに、その相手がこれでは先が思いやられる。
不満な声を聞くなりはため息をついて切原を見た。
「なら一人でやれば良いんじゃないですか。」
「無理に決まってんだろ!」
なんだ決まってるというのは。そんなこと知るかと言おうとするも、教師に遮られて口を噤む。
「課題が終わるまで今日は部活禁止だからな。顧問の先生には俺から言っておく。あぁ、幸村にもな。」
「えええええー!!!」
悲鳴のような叫び声に、思わず眉を寄せる。
(きーきー、猿みたい。)
とても同い年とは思えないこの落ち着きのない英語が破滅的に苦手な同級生に英語を教えるかと思うと珍しく気が滅入った。
「・・・切原くん、これは中学生の範囲だと思うんですけど。」
「うるっせぇな!さっさと答え教えろって!」
「・・・まぁ本人が良いなら、良いですけど、私は。」
彼の英語の能力は予想以上に酷かった。
三人称単数、現在進行形、受け身からめちゃくちゃでよくもまぁこれで高校に上がれたものだと感心する。
だが、彼の英語の成績が上がろうが下がろうがそのままだろうが、にとっては瑣末なことだ。
としてもさっさと彼と二人で勉強するという一文の得にもならない事態はさっさと終わらせてしまいたい。
さすがに代筆は憚られたので教えるように先ほどまで使ってたルーズリーフ(時制の話をするために過去、現在、未来の線が引かれておわっている)にすらすらと解答を書き始めた。
ぶすっとした顔でそっぽを向いていた切原はそのペンが走る音にちらりとルーズリーフを見て癪だが賢いやつだとこころの中で悪態を吐く。
「じゃぁ、解答書き終えたので、私はこれで。」
かちりとペンの芯をしまって、それを机の中に放り込むとは立ち上がった。
「お、おう。」
不覚にも、その速さとアルファベットの綺麗さにぼうっとしていた切原は慌てて答えるとシャーペンを握った。
すでには教室の出口に向かっている。
本当ににこりともしないやつだとぶつぶつ呟いて解答を写し始める。
次顔を上げた時には当たり前だがの姿はどこにもなかった。
靴を履き替えて外に出る。
昨晩は朝方まで入れ替わり立ち替わりイタリアにいる保護者や友人と話していたのが相当響いている。
今日はもう携帯の電源は切って寝よう。そう思いながら携帯を取り出すとメッセージの着信を知らせるポップアップ。
開くと越前からで、立海はどうかと書かれてある。
どうもこうも、彼らが期待しているであろう立海テニス部のことはよく分からないと返すと、今度は電話が来た。
部活中じゃないのか。そう思いながらも着信ボタンを押して耳に当てた。
『先輩のこと聞いてるスけど。』
「あ、そうだったんだ。」
丁度立海テニス部のコートに差し掛かる。
月水金しかテニス部関係者以外の見学は許されていないらしく、人もまばらだ。(なんとギャラリーができるのを防ぐために定期的に教師が見回りにくるらしい)
「そういえば今日英語が凄くできない猿みたいな同級生の英語の面倒を見た。」
『・・・そういうことじゃなくて』
携帯の向こうからため息が聞こえてくる。
「楽しくはないけど、嫌でもないよ。君みたいに絡んでくる人いないから、平和。」
『立海じゃ絡みたくても中々絡めないッスから。寂しい?』
「う・・・ん。どうだろう。寂しいかも。」
青学にいた時はいろいろあったが、何だかんだ誰かといることが多かった。
イタリアでは忙しい合間を縫って会いに来てくれる人達がたくさんいた。
それと比べると確かに寂しいのかもしれない。景吾とも以前ほど頻繁に会っていないこともあるのだろう。そうはいっても週に1回は会っているのだが。
そう考えていると、風を切る音と遠くで叫ぶ音。
ぼうっとしていたからか直前まで気付かなかったそれは黄色いボール。
ちらりと視線をよこして捉えた瞬間、バッグを地面に落としてそれをキャッチした。
相当な速さで飛んできたそれは一直線にの頭に向かってきていた。悪意を感じる。
そう思いながら飛んできた先を見ると、フェンスの扉が開いた先に呆然とラケットを持ったまま立ち尽くしている人達が見えた。
『先輩?』
「ん。ちょっと待って。」
携帯を耳に当てたままボールを投げ返すと我に返った帽子をかぶった生徒がラケットで受け取った。
それを見届けてバッグを手に取りすぐさま背を向けて歩き出した。
「ねぇ、君!」
背中にかかる声は自分に向けてじゃないだろうと自分に言い聞かせて校門を目指す。
こういう時に振り返るとロクなことが無い。
「もういいよ。」
『何だったんスか。」
「ボールが飛んできたから取っただけ。」
『ふぅん・・・じゃ、今週末そっち行くんで。』
ということは練習試合でもあるのだろうか。だったら応援に行くのも良いかもしれない。
『桃先輩達も会いたがってたんで。あ、夕方くらいになるんスけど良いッスよね。』
「あぁ、うん。大丈夫。」
『じゃ、休憩終わるんで、また。』
意外とあっさりと切られた電話。
そういえば越前は去年の中学三年のときはテニス部の部長だったらしい。彼も成長したものだ。
昨日は原田からも電話があった。相変わらず高校でもテニス部のマネージャーに勤しんでいるらしい。
皆、それぞれの時間が過ぎて少しずつ成長している。
その感覚がじんわりと沁みてきて、今度青学に遊びに行こうかと思いながらポケットに携帯を入れた。
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