リヴァイは部屋を出ると、視界の下のほうをうろちょろする箒を見下ろして、その後ろをついて回っている雑巾を認めた。
不可思議なのは、動いている箒も雑巾もそれを持っている人が居ない、ということだ。
しかし、それには既に慣れているリヴァイは構わず箒と雑巾の横を通り過ぎるとキッチンに立つ女性に声をかけた。
「おい、料理と掃除は同時にするな、と言ったはずだ。」
「あ、おはよう。リヴァイさん。」
笑いながら見上げてくる少女は、リヴァイよりも頭1つ分背が小さく、顔もあどけない。
「・・・何度も言わせるな。料理と掃除は―――」
「あぁ!はい!」
少女は慌ててポケットから杖を取り出すと、リヴァイの後ろの方で動き回っている箒と雑巾に向けた。
ぴたり、と動くのをやめたそれらは、ふよふよと浮かび上がり、洗面所へと向かっていく。
「コーヒー。」
それを確認して、リヴァイはダイニングキッチンの椅子に腰掛けると、新聞を手に取りながら言った。
すると、すぐに彼の目の前のテーブルの上には湯気を立てたコーヒーが現れる。
何のためらいも無くカップに手を伸ばして口に運ぶと、いつもの味が口に広がる。
「リヴァイさん、ご飯、もうできるよ。」
「あぁ。」
それは言外にテーブルの上に広げている新聞をどけろということなのだろう。
正しくそれを理解したリヴァイは新聞を畳むと隣の椅子に置いた。
次の瞬間、が立っている方向からオムレツとパン、そしてサラダがふよふよと浮かんでくると行儀良くテーブルに並び始める。
「いつ見ても便利なもんだな。魔法って奴は。」
手を拭きながらが椅子に腰掛ける。
「えへへ。」
褒められたとは嬉しそうに笑う。
リヴァイがを拾ってから半年程が経った、朝のことだ。
夜も更けた時刻。
こんこん、とドアをノックする音にリヴァイは入るように言うと、が入ってきた。
彼女の手には古ぼけた箒がある。それで彼女が何を言うか察したリヴァイだが、彼女の言葉を待つ。
「夜の散歩に行ってきてもいい?」
彼女が箒で空を飛ぶだなんて言い出したときは頭でもイカれた奴を拾ってしまったかと酷く後悔したが、その後実際に乗せて貰って驚愕したときのことは今でも忘れない。
「・・俺も乗せろ。」
立ち上がりながら言うと、は少し驚いたような顔をした後、笑顔で頷いた。
「珍しいね。最初はあんなに嫌がってたのに。」
「たまには悪くねぇ。」
上着を羽織り、の格好を見下ろして舌打をした。
「おい、外は少し冷える。何か着て来い。」
言われて自分の格好を見下ろしたは頷くとぱたぱたと小走りで自分の部屋へと入っていった。
すぐに足音が聞こえ、リヴァイは部屋を出ると丁度はカーディガンを羽織った姿で箒を手にしている。
「行くか。」
懐中時計で時間を確認すると、もう余り人が外には居ない時刻。
恐らくリヴァイの仲間は歩き回っているだろうが、彼らを避けながら誰にも見つからずに空に飛び立つのはリヴァイにとっては容易い。
「はぐれんなよ。お前の見た目だと格好の餌食だ。」
手を出すと、はその手に自分の手を重ねた。
視界の少し下に入る彼女の髪の毛は漆黒の絹糸のようにつややかだ。
拾ったばかりの頃聞いた話によると、母親が東洋人らしい。
は自分とリヴァイに目くらましの魔法をかけて家を出ると、人が閑散としていて夜は滅多に近寄ることの無い外れへと向かう。
「じゃぁ、私の後ろに乗って?」
これも1番最初に箒に乗る時は矢鱈嫌がった記憶があったが、リヴァイは素直に後ろに跨り、の腰に手を回した。
それを確認してが地面についている足を蹴ると、浮遊感が襲い、視界がどんどん開けていく。
「・・・今日は月が綺麗だな。」
「うん。外が良く見えるね。」
嬉しそうに笑うは旋回して方向を正すと、最近見つけたという湖に向かって飛ぶ。
「・・・お前が居なかったら、見えなかった景色だな。」
少し飛んだところで、遠くに湖が見えてきた。
月の光を反射してきらきらと輝く湖の周りには木々が生い茂り、夜に花を咲かすのであろう、白い花がきらりと光る。
「此処には、空を駆けて襲ってくる魔法生物も居ないし、地上に降りさえしなければ大丈夫だし・・・湖面に近づいても良い?」
「あぁ。」
リヴァイの返事を待って、は高度を下げると、手を伸ばせば湖に手を触れる事が出来るくらいの位置でゆるゆると飛ぶ。
はじめて見るこんな大きな湖に、リヴァイは何の躊躇いも無く手を伸ばすと、湖面の水を掬い上げた。
「冷てぇ・・」
「そりゃそうだよ。」
笑いながらも手を伸ばす。触れた湖面は確かにひんやりと冷たかった。
は日中、1人では滅多に外に出ない。
彼女は巨人より何より、”人間”が怖い、というのだ。
出会った当初はリヴァイにも怯え、手を焼いたものだ。
リヴァイがに出会ったのは半年前の夜だった。
綺麗な満月の夜、住居に向かって夜道を走っていた時のことだ。
(何だ、この変なガキ・・・)
雲で翳っていた月が顔を出し、その光が差し込んだ所に小さく広がる草原。そこに、彼女は寝転がっていたのだ。
(随分良い身なりをしてるな。貴族か?)
だとしたら何故こんな所で寝転がっているのだろうか。それも、隣に古ぼけた箒を転がして。
思わず足を止めて数歩先に眠る少女の顔を見ていると、ぱちり、とその目が開いた。
「あ・・こ、ここは?」
戸惑うように視線を忙しなく動かし、頭を振る少女に、リヴァイは舌打ちした。
これは間違いなく厄介事だ。
「クソ、面倒くせぇ」
「あの、ここ、どこですか?」
見上げる少女の顔立ちは、此処では珍しい。もしかしたら身売りに捕まった後、何らかの理由で逃げおおせたのかもしれない。
「あれ?私、お父様とお母様と屋敷に・・・」
は、と何か思い出したのか少女は目を見開いたかと思ったらぼろぼろとその目に涙を溜めて、リヴァイはらしくなく焦った。
なすすべも無く立ち尽くしていたが、遠くから人の話し声が聞こえて我に返る。
「仕方ねぇな。後で話は聞いてやる。さっさと立て。」
未だぼろぼろと泣き続ける少女は訳が分からない、と言うようにリヴァイを見上げる。
リヴァイは舌打をすると少女を担ぎ上げた。
「こんな時間にお前みたいな奴が出歩いてたら危ないっつってんだ。行くぞ。」
訳がわからないまま、少女はリヴァイの首にしがみついた。
視線が少し高くなって、周りの景色がようやく目に入る。
「・・か、べ?」
あんな壁、あっただろうか。
少女の呟きから、その思いが感じ取れて、リヴァイは益々厄介なのを拾ってしまったかと後悔した。
家に戻ると、リヴァイは草がついたの姿を見て、舌打した。
「おい、そこで待ってろ。」
「は、はい」
ぐしぐしとようやく止まってきた涙をぬぐいながら言うと、リヴァイはため息を付きながら部屋に入っていった。
戻ってきたリヴァイの手には袋と、シャツにハーフパンツ。それをずい、と出されたはただただ困惑した。
「服が汚ぇ。部屋が汚れる。着替えろ。」
その意図を理解し、自分の身体を見下ろすと、確かにあちこちに草がついていて、はポケットから杖を取り出した。
それに、何をしているんだ、と馬鹿にするような視線でリヴァイが見てくるが、本人は服を見下ろしているので気付かない。
がそのまま杖を振り下ろすと、身体についていた草は綺麗に無くなった。
「・・?」
ポケットに杖を仕舞ってリヴァイを見上げると、彼が固まっているのに気付いて首を傾げる。
「お前、今のは何だ?」
しかし、それを聞いた途端、固まったのはだった。
さっと顔を青くして、かちかちと歯が鳴る。
「おい、どうし・・」
「あ、あなた、もしかして、マグル(非魔法族)?」
じり、と後ずさりするにリヴァイは咄嗟に彼女の腕を掴んだ。
「やだ!」
「おい、何なんだ、一体。」
暴れて逃げようとするを押さえ込みながらリヴァイは舌打をした。
先ほどまで普通だった彼女がここまで取り乱している。
「クソッ、落ち着け!何もしない!」
声を荒げながらそう言うと、一瞬、の体が止まった。
その瞬間、を抱きこんで、ため息をつく。
何故こんなに必死になって彼女を説得しようとしているのかは自分自身も分からないが、ひとまず事情を聞きたい。
「いいか、お前が外をうろつくのは得策じゃない。お前のような顔立ちの奴らは襲われて、人に売られる。今夜は遅い。出て行くなら明日の日中にしろ。今放り出してお前が襲われるのは目覚めが悪い。」
恐る恐る、の小さい手がリヴァイの服を掴む。
「あなたは、私達を殺さない?」
声が震えている。顔が見えないから判断出来ないが、彼女は今だに青白い顔をしているのだろう。
彼女が不思議な力を持っているのは分かっている。それが原因で恐らく人が怖いのだろう。リヴァイは、彼女に興味を持ち始めていた。
「はぁ・・・殺して何のメリットがあるんだ。」
ため息混じりにそう言うと、は一気に体の力を抜いた。
ようやく落ち着いたか、とほっとしたが、一向には動かない。
身体を離してみると、少女は眠っていた。
翌朝、目を覚ましたは暴れるようなことはしなかったが、酷くリヴァイを警戒していた。
それでもリヴァイの質問にはぽつりぽつりと答え、リヴァイが下した判断は、彼女がここではない何処かからやってきた、ということだった。
当時のの様子を思い出して、リヴァイは低く笑う。
コーヒーを持ってきたはちょうどそれを目にして首を傾げた。
「お前を拾った時のことを思い出してた。まるで警戒する猫だったな。なぁ?」
も当時のことを少し思い返したのか、気まずそうに視線を下にした。
コーヒーをテーブルに置く手が少し乱暴なものになる。
「あの頃は、リヴァイさんも、その、昔良く言い聞かせられたマグルと同じだと思ったから・・」
の祖父は、魔法という特異な力を持った為に周りから迫害され、妻や子どもを殺されたらしい。魔法族が集まる所に移り住んでからの祖母にあたる女性と結婚したらしいが、は幼い頃からどれほどマグルが残酷なものかを言い聞かせられて育ったという。
そのせいで、未だにはリヴァイ以外の人と必要最低限の接触しか持たない。
(まぁ、それはそれで俺としては好都合だが・・・)
東洋人は今や高値で取引される商品。ハーフとはいえ、東洋人の特徴が色濃く出るに外を1人でふらふらされては気が気ではない。
「・・・買い物に行くか。今夜から明日の昼くらいまで戻れないからな。」
それを聞いての表情が少しだけ曇る。
リヴァイが世間に誇れるような仕事をしていないことを知っているからだ。
「うん。・・・気をつけてね。」
「ハッ、誰に言ってんだ。」
にやりと笑うとリヴァイはコーヒーに手を伸ばした。
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