あいつを初めて見たのは、入団式の時だった。
東洋人、それも主席で卒業してきた奴が調査兵団に入ってくる。そういう噂がやたら耳に入って、少し視線を向けただけだ。
噂に違わぬ東洋人の特徴を兼ね備えた彼女は少し緊張した面持ちで当時の団長に敬礼をしていた。団長を目の前にしたくらいで緊張するんなら巨人の前でも役には立たねぇだろう、そう思ってすぐに興味を失くした。
その後何の縁か俺の班に配属され、最初の壁外調査。俺の予想に反して、あいつは軽々と一体の巨人の絶命させた。
軽い身のこなし。冷静に項に振り下ろされた刃。
「班長、次の指示を。」
その壁外遠征で俺の班で生き残ったのは、俺とアイツ、そして当時の副班長だけだった。
散々な結果だ。だが、勝手なことに俺は初戦にも関わらず巨人を平然と屠ったアイツに、希望を見た気がした。
「訓練兵の講師?」
目の前のエルヴィンは暢気に紅茶を飲んでいる。
いきなりここ、エルヴィンの部屋に呼び出されたと思ったら糞みてぇな話しやがって。
「あぁ、対人格闘と立体機動について、週に数日講義を受け持ってもらえないか、と話が来ている。」
「オイ、あいつは俺の補佐だ。訓練兵の講師との両立はアイツに負荷がかかりすぎる。」
エルヴィンは肩を竦めて、暫くぶりに聞く名前を口にした。
「キース前調査兵団団長。・・・彼からの打診だ。無碍にはできん。」
「・・・納得できねぇな。」
それでも、アイツは俺の補佐だ。それ以外のポストも余計な繋がりも必要ない。
「リヴァイ・・」
「何でアイツなんだ。他にもいるだろうが。」
「彼女は兵団のNo2だ。彼女と同等かそれ以上の技術を、となると必然的にお前しかいない、リヴァイ。だが、兵士長をそう簡単に貸し出す訳にはいかない。分かるな。」
俺は黙って立ち上がると、部屋を出た。
後ろからエルヴィンのため息が聞こえてくるが知ったこっちゃねぇ。
アイツは”俺の”だ。
「・・?」
執務室に入ると、の姿が見えない。
「オイ、はどこだ。」
嫌な予感がする。近くにいたミケに聞くと、すん、と鼻を鳴らして口を開く。
「訓練兵の所、と聞いたが。」
手にしていた書類が、ぐしゃり、と音を立てて潰れた。
104期訓練兵。その目の前に立っている女性はぴんと背筋を伸ばし、彼らに視線を送る。
黒髪に黒い瞳。数少ない東洋人の容姿を色濃く見せる彼女の登場に訓練兵は色めきだつ。
「調査兵団兵士長補佐の・です。本日から立体機動と対人格闘術を担当することになりました。よろしくお願いします。」
そう言って少し頭を下げた彼女に訓練兵はいっせいに敬礼をする。
兵長補佐と言えば調査兵団のあの人類最強兵士長に次ぐ実力者。
その性別が女性ということで、男性からも女性からも支持も厚ければ憧れも強い。
しかし、リヴァイが予想に反して小柄、潔癖症であるのに対し、彼女は無愛想という点が玉に瑕。
(・・にこりともしない奴だな、噂の兵長補佐ってのは。折角の美人が台無しだ。)
ジャンがこそこそと横にいるコニーに言う。
コニーは頷いて、頬を引きつらせた。彼女と目が合ったのだ。
「・・ご存知とは思いますが、立体機動無しに巨人を相手にすることはできない。私は、貴方達が生き残る為に、指導します。それを肝に銘じて講義を受けて下さい。以上。」
そう言って、彼女は脇にある椅子に座ってしまった。
入れ替わりにキースが出てきて講義の内容について説明を始める。
(・・・人数が多い。やっぱり超大型巨人の来襲以降、志望者が増えている。)
の時代に比べて多い訓練兵の数に、全て面倒を見切るには相当の体力と時間が必要なことを悟り、人知れずため息をつく。
そうでなくても、エルヴィンの指示とはいえ、リヴァイに黙って訓練兵の元へ来てしまったのだ。帰ったら小言の一つや二つ・・いや、十は覚悟しておかねばならない。
(それでも今後調査兵団に来るかもしれない子達を訓練兵の時から見れるのはメリットもある筈。)
やりきって見せる、と心の中で呟いて、ようやくキースが言葉を締めくくったのに合わせて立ち上がった。
「では、15分後、対人格闘術の訓練に入ります。各自準備を済ませて第二訓練場へ集合してください。」
そういい終わると一斉に訓練兵は蜘蛛の子を散らしたように講義室から出て行った。
しかし、唯1人、その場に残った訓練兵には首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「・・・ミカサ・アッカーマンです。」
そう言って頭を下げた彼女のファミリーネームには聞き覚えがあった。
壁内の東洋人は限られた人数。そのコミュニティも小さい為大体の東洋人の家系については把握している。
「・・・アッカーマン・・」
「はい。・副兵士長も東洋人、と聞き及んでいましたので、少し、話をしたくて・・」
感情をうまく読み取れない表情。だが、そこからは戸惑いと喜びが感じ取れて、は少しだけ表情を緩めた。
自分の出会った東洋人は、身を隠すようにひっそりと暮らしているか、貴族に引き取られて一見幸福そうに暮らしているかのどちらかだった。
堂々と生きていくには、相応の強さが必要になる。
だから自身、兵になる道を選んだのだ。
「・・・アッカーマン夫妻の件は、昔、両親から聞いた事があります。私達東洋人は常に狙われる存在。その中、貴方がここまで来れた事を嬉しく思います。」
そして、ゆっくりと手を差し出す。
「今後自分の信じる道を進む為にも、貴方は強くならなければいけない。私達の敵は壁内にもいるのだから。」
ミカサはその手に自分の手を重ねて力強く握り返した。
「はい。よろしくお願いします。」
東洋人の兵は数えるほどしかいない。
それもこれも、希少価値のある東洋人をみすみす死なせる訳にはいかない、という貴族達や人買い達の思惑があるのと、兵になるということは必然的に人目につく為、東洋人に価値を見出す輩からの介入を受ける可能性があるからだ。
えこ贔屓をする訳ではないが、ミカサにはどうしても力をつけて欲しいと願ってしまい、は掴んだ手にきゅっと力を入れた。
初日の訓練を終え、調査兵団に戻るとリヴァイが待ち構えていては固まった。
確かに小言を言われるのを覚悟はしていたが、未だ訓練に慣れていない訓練兵の指導で疲れたところにリヴァイの登場だ。
自然と腰が引けたがすぐにリヴァイが近づいてきたので姿勢を正す。
「・・・どうだった。訓練兵のガキ共は。」
「そ、そうですね・・・まだ初日なので何とも言えませんが、有望そうな子達は何名か。これからが楽しみですよ。」
楽しみ。その言葉に反応して深く眉間に皺が寄る。
「ほぅ・・そりゃ良い。が、忘れるなよ。お前は俺の補佐だ。」
「ええ、忘れるわけ無いじゃないですか。私は講師である前に貴方の補佐です。」
部下として、必要としてくれている事を感じさせるリヴァイの言葉には自然と笑顔になる。
初めての壁外調査の時。当時の班長だったリヴァイの動きには目を奪われ、それ以来彼の元で働きたいと必死に訓練、壁外での討伐、執務をこなしてきた。
それが叶い、兵長補佐に任命されたのが3年前。
にとって上司であるリヴァイと共に仕事をするのは誇りなのだ。
「なら良い。さっさと仕事しろ。」
「はい。」
踵を返して自席に戻るリヴァイに、自分も席に着く。
しかし、机の上に乗っている書類に異変を感じてちらりとリヴァイを見た。
朝見た時よりも数が増えていて当然なのに、減っているのだ。
そしてリヴァイの机の上を見ると、彼はさっさと書類を捌いてしまい、夕方には殆ど残っていないというのにまだ数がある。
もしかして、と思うと同時に横にいた後輩がこっそり声をかける。
「気付きました?兵長、さんの書類持ってっちゃったんですよ。相変わらず愛されてますね。」
「あ、やっぱりそうなんだ・・。申し訳無いなぁ。」
こういう部下を気遣う姿勢も尊敬している点の一つだ。
後でコーヒーでも用意しようと思いながらは資料を手に取った。
暫く資料の捲る音と、数名がリヴァイの元に確認に訪れた時の会話が偶に室内に響き、一時間ほど経っただろうか。
は息をつくと立ち上がった。
隣にいた後輩は先ほど帰宅していて部屋にはリヴァイとしかいない。
自分の分はあと30分と少しあれば終る位。
リヴァイの机を見てもそれ程かかるようには見えず、は給湯室に向かうとコーヒーを二つ用意してリヴァイの元へ向かった。
「お疲れ様です。」
すっかり日は暮れていて暗い。
ここまで遅くなってしまった一端には自分もある事は分かっているのか、申し訳なさそうにコーヒーを差し出すにリヴァイは顔を上げた。
「あぁ。ありがとな。」
「いえ・・私の分、手伝って下さったんですよね、ありがとうございます。」
「・・・エルヴィンとキースから言われれば断れねぇのは分かってる。気にするな。」
固い表情をしたままだったはようやく口の端に笑みを浮かべた。
「本当に、貴方が私の上司で良かった。ありがとうございます。」
「・・その上司に黙って訓練兵の所になんか行きやがって。」
じろりと睨みつけながらコーヒーを口に運ぶリヴァイに眉尻を下げて、すみません、と小さく謝る。
「まぁ良い。さっさと終わらせて帰るぞ。明日は訓練は無いんだろ?一杯付き合え。」
「喜んで。」
予想通りの返事に満足そうに鼻を鳴らすと、リヴァイは残りの書類に取り掛かり始めたので、も自席に戻りペンを握った。
予想はしていたが、兵士長補佐と訓練兵の教官の二束の草鞋は相当にきつく、最初の半年は夜遅くまで執務に追われる日々が続いた。が、リヴァイのフォローだけではなく、周りのフォロー、そして自身の慣れや訓練兵自体卒業が近くなってきた事もあって訓練にかかる労力も大分マシになり、1年も経つとそれなりにこなせるようになってきた。
「今日は午後からガキ共の所か。」
昼食をそろそろ取ろうかと思っているとリヴァイに声をかけられて、は立ち上がった。
ガキ共、という呼び方からして未だに訓練兵の教官をしていることを余りよく思っていないのが分かる。
「はい。昼食後、少し仕事をして出ようと思っています。」
「そうか。なら昼飯に行くぞ。」
「はい。」
リヴァイから昼食に誘われるのは然程珍しい事ではない。
時間が合えば誘われる為、週の半分、いや、それ以上はリヴァイと共に昼食を取るようになっている。
「次の壁外調査が来月、予定されているのは知ってるな。」
「えぇ・・・団長からは訓練兵の卒業試験も近いので、今回は出なくて良い、と言われましたが・・」
目の前のリヴァイは口の中の物を飲み込むと舌打ちをした。
「だからお前の名前が陣形に無かったのか。エルヴィンの野郎・・」
「えぇと・・」
発端は自分が教官を担うことになった事がある。何と返して良いか分からずに食べる手を止めていると、リヴァイが食べるように促した。
「4年前、俺が言った事を覚えてるか。」
4年前、と言えばが兵士長補佐に任命された頃だ。
あの当時言われた事と問われると大分古い記憶であるのに加え、言われた事が多すぎては首を傾げた。
「お前を補佐に任命した理由だ。お前しか俺の背中を預けられる奴はいねぇっつっただろ。」
「あ・・」
嬉しすぎて忘れられない言葉だ。当時のにとって、目標にしてきたリヴァイからのそのそれは何よりの賞賛の言葉だった。
「今回は、もう決まっちまったから仕方ねぇが、次は無い。良いな。」
「・・分かりました。次は必ず、兵長の背中を預かります。」
壁外調査に出ないのは、リヴァイの補佐になってからは初めてだ。
がいないからと言ってリヴァイの動きに影響が出ることは無いとは思うが、リヴァイとのコンビネーションは自他共に評価し、されている。
「兵長、ご武運を祈っています。」
目の前のリヴァイが少しだけ笑った気がした。
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