着いた旅館は立派な門構えをしていて、は思わず怯む。


「ほら、早く入るよ。」


そんなを尻目に堂々と中に入っていく恭弥に、は自分は姉なのに、と口を尖らせた。


「なに?」
「別に。」


それに気づいた恭弥が尋ねると、はふい、とそっぽを向いてしまう。


「これじゃどっちが年上だか分からないね。」
「恭弥、可愛くない。」


そういう所が特に、なんだけど。と恭弥は心の中で呟く。
せっかくの姉弟水入らずの旅行なのに、これ以上機嫌を損ねるのは得策ではない。


「此処は3つ風呂があるらしい。夕食の前に入ってきたら?」


荷物を旅館の人間に預けながら言うと、は目を輝かせた。









Incomplete Love Story












今の時間、女性が入れるのはゆず風呂と竹風呂で、両方満喫したは満足げに部屋の座椅子に座っていた。
次々と運ばれてくる料理に嬉しそうに顔を綻ばせる。


「いただきます」


最初はやはり、刺身だ。
無類の刺身好きのはしょうゆに少しだけ山葵を入れると、マグロの切り身を浸して、口へと運んだ。


「んー、美味しい。」
「色気より食い気って奴だね。」
「弟に色気なんて出してどうするのよ。」


少し憤慨したようにいうものの、は次々と刺身を口に運んでいく。


「失礼します。」


前菜が出終えた頃、コンロにセットする鉄鍋を持った仲居が部屋へと入ってきた。


「・・・お魚にすき焼きだなんて、豪華だね。」


その中身が見えて、は嬉しそうに恭弥に話しかけた。


、好きでしょ?」
「うん。」


流石、伊達に何年も一緒に暮らしていない。
好みのものばかりが出てくる夕食に、どんどん食べるぞ、と意気込むものの、なぜか少し気分が悪い。


「?」


むかむかする胃に、は首を傾げて胃の辺りをさすった。


「どうかした?」
「う・・・ん、何か気持ち悪い。何でだろう。」


時差ぼけのせいだろうか。変なものは食べていない筈だ。


「・・・大丈夫?顔、青い。」
「平気、平気。」


笑って返して、は出来上がったすき焼きに手を伸ばした。
卵をたっぷりと付けて牛肉を口に入れる。


「う・・・」


それは、大好きなすき焼きの味、というかいつもよりもきっと美味しいものに違い無いのに、は吐き気をもよおす。
慌てて口を抑えて立ち上がったはトイレに駆け込んだ。


!?」


それに、恭弥も慌てて後を追う。


「うっ・・・・」


トイレの中で戻すに恭弥は驚いて背中をさすった。


「大丈夫?・・・ほら、全部吐いた方が楽になる。」


は涙目でそれに頷いた。




















その後、近くの病院に連れて行って分かったのは、とんでもない事実だった。


「おめでとうございます。5週目です。」
「は?」


医者は、何と言ったのだろうか。
3週目だなんて病名は知らないし、おめでとうだなんて病人の家族に言う言葉じゃない。
恭弥の米神が怒りに引きつる。


「・・・・君、ふざけてるの?サンシュウメっていったい何の病気?」
「は・・あ、いや、あの、病気ではなく・・・・」


医者は戸惑ったように目を丸くしながらも言葉を続ける。


「ご懐妊です。お子さんがいらっしゃるんですよ。」
「・・・・・・」


空気が瞬時に冷めていく。恭弥は怒りに手を震わせた。


「・・・成るほど、ね。に乱暴をした奴がいるって、こと。」


思い当たるのは1人しかいない。
今すぐあの男をぼこぼこにしたいのは山々だが、生憎と彼はイタリアにいない。


は?」


怒りをなんとか静めて問い直すと、別室で寝ているとのこと。
恭弥は手を握り締めて、が休んでいる部屋に向かった。

部屋に入ると、ベッドに横になっているの姿がある。

椅子を引き寄せて、腰掛けると、恭弥はの頬にかかった髪をそっと避けた。


「・・・・ん・・・?」


それに、の瞼がぴくりと動いてゆっくりと開く。
彼女は目に入った天井と自分を心配そうに覗き込む恭弥の顔に一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んだ。


「心配かけてごめん。」
「・・・別に。」


は身体を起こそうとするが、それを恭弥はやんわりと押さえた。


「ここは?」
「病院。」


それだけ言って、妊娠のことを伝えるかどうか迷う。


「・・・・・気分はどう?」


尋ねられたは、うーん、と唸った。


「良くも無いし、悪くも無い、かな。ちょっと気持ち悪い。」


まだ少し眠いのか、目を擦りながら周りを見回す。


「ここは病室?・・・お医者様は何て?」


こんな大事に至るとは思っていなかったのだろう。
彼女は不安そうに尋ねるので、恭弥はため息をついて口を開いた。


「病気じゃ無いよ。」


妊娠してる、って。と続けて言おうと思っていたのに、口から出てこない。
きっと認めたくないからだろう。


「え、じゃぁ、何で戻しちゃったんだろう。」


不思議そうに自分を見上げてくるに、恭弥は諦めて目を閉じた。


「妊娠してるらしい。」


それを聞いた瞬間、は目を見開いた。


「に、妊娠?」


動揺が隠せない。
というか、何よりも、自分の妊娠を一番に知ったのが弟だという事実が恥ずかしい。
は恭弥とは反対側に顔を向けた。


「・・・・・もう、旅館に戻っても良いって。起きれる?」


暫く口を閉じていた恭弥はようやくそう言うと、に手を貸すために立ち上がった。


「あ、りがと・・。」


まだ、動揺しているのか、は恭弥を見ることも無く答えて、身体を起こした。




湯煙強奪事件



2013.5.8 執筆