「ねぇ、そろそろ良いよね。俺いっぱい我慢して来たし。」


そう、熱っぽい声で迫られたのは、お風呂に入った後、髪を乾かしながらテレビを見ていた時の事だった。
家に入って来るなり、何を言うのだろうか、この男は。と、は首を傾げてがしがしと頭を拭く。


「急にどうしたの?」


前から頭のネジが数十個程抜けているとは思っていたが、とうとう壊れたのだろうかと少し心配になる。


「だって、付き合ってから1年と9日、手を繋ぐのと軽いキスは許してくれるけど、他は全部駄目。ここまでお預け喰らうと健全な青少年としてはきついんだけど。」
「・・・そう。」


確かに、いくら擦れてて、性格がねじ曲がっていても高校3年生。確かに、やりたい盛りかもしれない。
だが、そうですね、じゃぁどうぞ。と言ってやる程も甘くは無かった。


「私、結婚するまでは純潔って決めてるんだよね。ていうか、結婚っていうちゃんとした契約を迎えるまで我慢出来ないような人とは将来を誓い合える気がしなくて。臨也くんとはちゃんと将来も考えてるから、そこは我慢して欲しいなぁー。じゃないと、ちょっと考え・・・」
「今のは冗談だよ」


遮るように大きな声で言った臨也の顔を見ると、苦渋の色を浮かべていた。


「本当?」
「・・・まぁ、ね。」


じゃぁ、良いね。とは再び髪をタオルでがしがしと拭き始めた。











Trip! Trip! Trip! #19












3年生になった年の5月4日。
お付き合いというものを始めて2回目の臨也の誕生日だが、はすっかりそのことを失念していた。
というのも、毎年誕生日付近になると臨也が騒ぎ立て始めるのに、今年はそれが無かったのだ。


いつも通り夕食を作ってテーブルに並べてテレビを付ける。
今日はロールキャベツだ。


「いただきまーす」


そう、1人手を合わせて食べ始めようとした時だった。
がちゃりと玄関が開いたのは。


画面に映るのはしゃべくりxxxのロゴマーク。正に今から番組が始まる所だ。
結果、は玄関が開いた云々については全くスルーする事に決めた。


「ただいまー、あ、今日はロールキャベツ?」
「今日来るって聞いてなかったからあんまり量無いよ。」
「だろうと思って牛丼買って来た。」


そういう臨也の手には、牛丼の包みと、何故か真っ赤な薔薇の花束がある。

それに突っ込むべきかと口を開こうとした時、番組のMCが始まった。
は少し迷ったが、立ち上がって残りのロールキャベツを皿に移してテーブルに運んだ。

「その花、どうしたの?」


再び花束に目を向けると、それは随分と大きいものだ。


「え?これ?ほら、やっぱりプロポーズには必要かな、と思って。」
「は?」


呆けていると、臨也は牛丼の包みをテーブルに置いて、満面の笑みを浮かべた。
唖然としているの手を取り、その花束を持たせる。


「今日は俺の誕生日だから、プレゼントにコレ、書いてもらおうと思って。」


そして目の前に突きつけられたのは婚姻届。
しかも、臨也の欄は既に埋まっている。おまけに、証人欄のところにはの親の名前も入っている。


「・・・もしかして、先週いなかったのって・・・。」
「うん。ちゃんの両親に許しを貰いに行って来た。」


は力なく椅子に腰掛けた。


「あぁ、花束の中央、よく見て。」
「はい?」


言われるがまま、見ると、赤い薔薇の花と同化していて気付かなかったが、小さな赤い箱がある。
まさか、まさか、と言うの表情を面白そうに見ながら臨也はそれを手に取った。
かぱり、と開くと、ダイヤのついた指輪。


「はい、手出して。」


出す前に左手を取られて、はめられる様を驚いた表情のまま見つめる。


「婚約指輪も着けた事だし、婚姻届にサインしてよ。今夜出しに行って、めでたく俺達は夫婦だ。で今夜は初夜だね!」
「・・・・ありえない。」


ふるふると手が震える。


「あれ、そんなに嬉しかった?」


は笑顔で言う臨也をぎろりと睨みつけた。


「勝手にうちの両親に挨拶に行って、婚姻届にサインさせるなんて、臨也くんは昔からちょっとどうかと思ってたけど、どうかしてる。」
「うん、それは自覚してる。」


けろりと認めるとは大きくため息をついた。
その隙に、臨也はさらさらとの住所を婚姻届に書き加えていく。


「はい、あとはちゃんの名前書くだけ。今日は俺の誕生日だし、書いてくれるよね?」


相変わらず臨也の口元は緩く弧を描いている。

























その後、いかに臨也がのことを思っているのかを切々と2時間語り、折れたは婚姻届にサインをした。
半ば自棄に近い気持ちではあったものの、のサインが入った婚姻届を臨也は嬉しそうに見つめると、足早に家を出て行った。恐らく役所に提出しに行ったのだろう。


「・・・・何やってるんだろ、私。」


すっかり冷たくなってしまった夕食を、ようやく食べ始める。
彼がやってくるまでは、楽しみにしていたテレビが始まる時間にご飯ができるだなんて、完璧と自分を褒め称えていたのに、その番組はすっかり終わり、ニュースが始まっている。


「ていうか、結婚?」


未だに現実味を帯びないその事実。


「・・・もしかして、私、とんでもなく早まった事をしたんじゃぁ・・・。」


視線を手元に落とすと、左手の薬指の指輪がきらきらと光を放った。
そう考えながらも、食事を取り、は洗い物もそこそこにシャワーを浴びると、さっさと寝てしまおうと寝室に向かった。
しかし、それは阻止される。勿論臨也によって。


「結婚したら、良いんだよね?」


帰ってきた臨也は布団に潜り込んだを引きずり出した。
獲物を狩るような目にはたじろぐ。


「・・・そんなこと、言った?」
「まぁ、言ってなくても、言ってたとしても今となってはどっちでも良いかな。」


ぐ、とベッドに縫い付けられて、は臨也を見上げた。


「もう限界。いいよね?食べちゃって・・・ッ!!」


いただきます、と口を開いた臨也の下半身に壮絶な痛みが襲った。


「黙って食べられる程、私も甘くないんですよ、臨也君。」


は股間を蹴り上げた足を動かして、ベッドから蹴り落とした。


「とりあえず、今日は寝る。起こしたら、ちょん切るからね。」


そう言って、は今度こそ眠る為に、布団に潜り込もうとするが、臨也はその布団を力任せに引っ張った。
その目には涙が浮かんでいる。


「駄目。寝かせない。」


あ、と言う前に臨也はにしがみついた。
先ほどの教訓を生かしてか、足は動かせないように彼の足で絡められている。


「結婚式はいつにしようか?あぁ、それと子どもはいつが良い?俺としては3年くらいは新婚気分を味わってからで良いと思うんだけど。」


にっこりと笑った臨也に見下ろされては目を細めた。


「あのねぇ、臨也くん。さっきも言ったけど、今日はもう寝るの。」
「ごめんね。俺、眠くないんだ。」
「じゃぁリビングにでも行ってなよ。」
「俺はといたい。」


終わりの見えない言い合いに、はため息をついた。


「大人しく、食べられなって。」


反論しようとした口は臨也にふさがれ、は観念したように目を閉じた。



























という訳で結婚しちゃいました、と屋上で報告すると、案の定、静雄は暴れだし、雅と新羅はぽかんと口を開いた。
その視線に居たたまれなくなったはパンをかじる。


「よくもまぁ、サインしたね。」
「あぁ、もう、何だろう。どうにでもなれって思っちゃって。」
「おめでとう!」


微妙な表情で新羅に返したは、そんな祝福の声を雅から貰って、これまた微妙な表情で礼を言った。


ちゃん!」


その時、屋上の扉が勢い良く開き、入ってきたのは臨也。
途端に、怒りをぶつける矛先が見つかった静雄が飛び掛る。


「このノミ蟲がァー!!!」
「げ。」


臨也は嫌そうにしながらも、彼の攻撃をひらりと避けた。


「ちょっとシズちゃん。俺は可愛い奥さんに会いに来たんだから、邪魔しないでくれる?」
「うるせぇ!失せろ!死ね!」


そう言って襲い掛かる静雄に、臨也は泣きまねをしながらに助けを求める。


ちゃん、シズちゃんがいじめるー!」
「はいはい、臨也くんが来ると静雄くんが暴れだすから大人しくどこかに行ってね。」


はしっしっと手で追い払う仕草をすると、臨也は口を尖らせて拗ねてしまった。


「・・・でも、あんまり関係は変わらないみたいだね。」
「変わるようなものでもないでしょ。」


最後のひとかけを口に入れて咀嚼する。


「まぁ、そういうことだから、これからもよろしくね。」


こくり、と口の中のものを飲み込んで、は2人に言った。








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2013.5.23 執筆