春休みが始まってから臨也はある決心のもと、の家に向かわずにいた。
押して駄目なら引いてみるとはよく言うもので、こういう通説をあまり信じている訳ではないが、たまには良いだろう、と思ってに会いに行くのを堪えて3日。
「もー無理!」
ごろごろしていた臨也はがばりと身体を起こした。
引いてみればメールくらい来るだろうという可愛い願いは辛くも叶わず、彼の鬱憤は溜まる一方だった。
携帯と財布をポケットに入れて、キーケースを手に取る。
小さい金属音を鳴らしたそれの中には勿論の家の鍵も入っている。
ばたばたと靴を履いて、向かう先は彼女の家。
我が物顔で鍵を開けて中に入ると、壁に貼った一枚の紙が視界にぱっちりと入った。
『NYに旅に出ます。残念でした。』
臨也はがっくりと項垂れた。
Trip! Trip! Trip! #11
飛行機から降りて、ベルトコンベアに乗ってぐるぐる回っている荷物たちの中から自分のを見つけ出して一呼吸。
あれだけ寝た筈なのに、はたまた、寝過ぎたからか、頭がぼうっとする。
「おかえり」
どこか、喫茶店にでも入ろうかと、フロアマップを探していると、背後から(それも至近距離で)暫く聞いていない声が低く響いてびくりと肩を揺らした。
びっくりしてその声の主を振り返ると、そこにはにっこりと笑顔の臨也。
「た、ただいま・・・」
月並みと笑ってくれるな。
この時のにはそう言うのがやっとだった。
取り合えず何処か入ろうと誘ったのは何の変哲も無い喫茶店だった。
「よく、今日帰って来るって分かったね。」
アイスカフェラテにガムシロップを半分だけいれてかき混ぜた。
このちょっとした甘さが丁度良い。
「まぁ、ちょっと調べれば分かる事さ。」
その言葉には思わず回りを見回した。
そんなことをこんな所で公言しないで欲しい。
「それよりも、一週間も会えなくて寂しかったよ。」
何だ、この恋人みたいな会話は。
そう思いながら、そもそも帰国する自分を空港まで迎えに来るだなんて、まるで恋人みたいではないかと気づいたは溜め息をついた。
「・・・臨也くんってさ、形から入るタイプ?」
「・・・どっちかっていうと、そうかも。」
納得した様に頷いて、はストローを銜えた。
「なんで?」
「特に意味は無いから、気にしないで。」
そう言われて、素直に放っておく臨也ではない。
彼はにやりとその口角をあげた。
「気になるなぁ。」
「・・・(だよね、やっぱり。興味本位で聞かなきゃ良かった。)」
ずず、と音が鳴る。
考え事しているうちに飲み終わったアイスカフェラテに、ようやくストローを離した。
「まだいる?」
問われて時計を見た。
時刻は18時前。そろそろ帰って軽くご飯を食べて寝るには丁度良い時間。
「ううん、もう帰る。」
「じゃぁ行こうか。あ、今日の夕飯は豆腐サラダと鳥雑炊だよ。材料だけ買っておいたから。」
不自然なのに自然と彼の口から語られる台詞に、は戸惑う。
「ほら、ずっとこってりした食事ばかりだったからあっさりしたやつの方が良いかと思ってね。ほら、頼みの綱の機内食も揚げ物だっただろう?・・・あぁ、でも、作るのはに任せるよ。俺が作ると食べれた物じゃ無い。」
「・・・臨也くんって、ストーカー目指してるの?」
そう尋ねると彼は驚いたように目を瞬かせて超絶笑顔になった。
「まさか!目指してるのは君の夫だよ。」
は何と言って良いか分からずに俯いた。
朝、は焦げた臭いに目を覚ました。
何故、自分は寝ていた筈なのに、焦げた臭いがしてくるのか、という問いにコンマ数秒で辿り着いた答えは、勿論火事でがばりと飛び起きた。
そして、枕元にあった携帯と財布を掴んで部屋を飛び出す。
「あ、おはよう。げほっ」
そこでかけられたのは暢気な声で、はその声の主を見た。
若干部屋の中が煙で曇っているのはきっと気のせいじゃない。
「なに、この煙!」
慌てて窓を全開にして、臨也のいる台所に向かうと換気扇のスイッチを押した。
「・・・・」
「・・・・うん、ごめん。」
次第にクリアになる視界に入って来たのは真っ黒に焦げた魚。
何だろう。どうしたらここまで放っておけるんだろう。
そう思っているのが伝わったのか、臨也はばつが悪そうに苦笑した。
「美味しい魚の焼き方調べてたら、さ。」
「調べてから焼こうよ。」
「ごもっとも。」
再び沈黙。
二人は真っ黒になった魚に視線を落とした。
可哀想なお魚さん。きっと彼は焦がされる為にパックされた訳じゃないだろうに。
ちーん
丁度オーブンが音を立てた。
「あ、パン焼けたよ。」
「そうだね。取りあえずパン食べようか。」
魚に何故パンなんだ、と思ったがきっとお米の炊き方が分からなかったのだろうと自己完結させた。
「あれだね。今度の誕生日プレゼントは『ひとりでできるもん どこでもクッキング』だね。」
「なにそれ。」
「え、知らないの。」
知らないなら、知らないままが良いかもしれない。と、はトーストをかじった。
オーブンに「トースト」のボタンがあったからか、流石に丁度良い焼き具合だ。
「・・・」
牛乳をこくりと飲んで、やけに静かな臨也に違和感。
てっきり「ひとりでできるもん」について追求されると思ったのに、と臨也を見た。
「・・・これって、酷くない?」
そこには彼がいつのまにか持ち込んだパソコンの画面を見ている臨也の姿。
これ、ということは既に調べたのだろう。ひとりでできるもん、について。
「最初は皮むき機の使い方からって・・・いくらなんでもそれくらい俺でもできるよ。」
「へぇー」
そりゃ凄い。と思いながら呟くと、臨也はようやく顔をあげてを見た。
その表情はどこか不服そうだ。
「なに、その感心したような言い方。」
「いや、皮むき機も立派な刃物だからね。それを使えるってことは凄いと思うよ。」
「残念。俺って刃物の扱いは上手なんだ。知らなかった?」
そう言われて、よく静雄と喧嘩になった際、ナイフを手にしていることを思い出した。
そういう意味で刃物の扱いが上手だなんて言われても本当に困る。
「確かに、刃物は刃物だね。」
今日は取りあえず、スーパーで食材だけ買って家でごろごろしようかな、なんて今日の予定を立てながら最後の一口を口に放り込んだ。
おかえり
2011/3/10 執筆