切原赤也は土曜日の練習試合の後、幸村からされたお願いとは名ばかりの命令を頭に、元気なくクラスに向かっていた。つい先ほどの朝練でも忘れないように、と釘を刺されたばかりだ。
(今日の昼、屋上に連れてこいって、ハードル高いッスよ、幸村ブチョー!!)
と切原は仲が良いどころか印象がお互いに悪いクラスメートだ。そんな自分に昼食に誘えだなんて罰ゲーム以外の何物でもない。
(実際不二さんに練習試合で負けたけど!)
はー!と大きくため息をついてがらりと教室のドアを開いた。朝練の後高宮と少し話をしていた為、始業の鐘がなるまであとわずかだ。
(そういや鈴も雲雀のこと気にしてたな。つーか、よく雲雀の事を聞いてくるような・・・。)
そう思いながら仲の良いクラスメートに挨拶をしながら自分の席へ向かうと嫌が応にもの姿が目に入る。いつものように姿勢をぴんと正して本を読んでいる。
なんだよ、相変わらず感じ悪いな、とはさすがに言えず、机の脇にカバンを置きながらぎこちなく口を開いた。
「よ、よぉ、土曜日見に来てたな。」
そう言いながら目線は自分の手元に向けたまま椅子に腰掛けるが、一向に返事が返ってこない。どういうことだとの方に顔を向けると彼女は未だ本を読んでいる。
「雲雀?」
苗字を呼んでようやくは本から顔を上げてきょとんとした顔で赤也の方を見た。
「はい、何でしょうか。」
「いや、聞いてなかったのかよ・・・」
「?」
首を傾げてみせる彼女に切原は意を決して話しかけたのは何だったのかと脱力した。
「・・すみません、まさか話しかけられるとは思わなかったので。何か言ったんですよね。」
「いや、土曜日、見に来てたな、って。」
「あぁ、切原さん、テニス部でしたね。」
それが何か、と問われて、う、と言葉に詰まったがすぐに持ち直す。幸村の笑顔が脳裏を過ぎったのだ。
「そう。それでうちの部長が、今日の昼食に雲雀を呼びてぇって。」
「部長さん、ですか?」
「そう・・って誰だって顔してんなよ。土曜、話してたろ。こうウェーブがかった髪のヘアバンドした・・・」
合点がいったのか、は、あぁ、と呟いたが土曜の会話を思い出して嫌そうに眉を寄せた。
「謹んで遠慮します。」
「は!?いや、来いよ。俺が言うのも何だけどテニス部のレギュラーと飯食えるってすげぇんだぜ?」
「はぁ・・・ですが、私には全く魅力的には思えないので。むしろ面倒ごとが増えそうで嫌です。」
「いや、頼むから来てくれよ。部長に連れてこいって言われてるんだよ。」
「嫌です。」
首を横に振るをさらに説得しようとしたが鐘がなると同時に担任が教室へ入ってきてしまった。
しぶしぶ口を噤みの方へ身を乗り出していた体をひっこめる。
その切原の様子を尻目に、不二の言う通り面倒なことになりそうだと嘆息した。
(真田さんの球を避ければよかったのか・・・でもそうすると別の人に当たりそうだったし・・・)
別のクラスなら、休み時間になるたびにさっさとクラスをでて逃げれば良いが、切原は同じクラスの上、隣の席。
(困ったな・・・)
の嫌な予感は的中し、休み時間のたびに切原はに話しかけてきた。しかも内容が内容だけに、クラスの特に女子が聞き耳を立ててひそひそと、切原の話を流し聴きしているを見て話し始める始末。
昼休みに入り、いよいよ面倒だときっぱりと断り席を立とうとするが、切原はその腕を掴んで離さない。
「マジで頼む!俺が殺されるんだよ!!」
「知りませんよ、そんなの。」
本当に迷惑そうに吐き捨てるが、切原は全く引き下がらない。
「いいから、今日だけ!な?」
こういう押しに弱い自分の性格はどうにかならないものか。は観念したようにため息をついた。
「本当に今日だけですよ。」
「よっし!さっさと行こうぜ!」
心底ホッとしたような表情の切原はの気が変わらないうちにと弁当の入ったランチバックを手にした。
信用仕切れないのか、相変わらずもう片方の手はの腕を掴んだままだ。
「赤也君、雲雀さん誘えた?」
よし、屋上へ向かおうとしたところで教室の入り口から控えめに名前を呼ばれて、切原は顔をほころばせた。
「おう、行くってよ。」
「仕方なく、という事をお忘れなく。」
「わかってら。わざわざ言わなくたって、お前、本当に・・」
嫌なやつだな、と言おうとして切原は口をつぐんだ。やっと行く気になってくれたのに滅多なことを言って機嫌を損ねるのも拙いと気づいたのだ。
「じゃぁ早く行こうよ。ね、雲雀さん。」
言われては誰だろうかと首をかしげた。
「あ、私、高宮鈴。テニス部のマネージャーをしているの。」
「マネージャー、ですか・・・。」
テニス部にそのマネージャー。嫌な予感がますます強くなってきては警戒心を強めた。とは言っても、一度屋上に行くと言ってしまった。なおさら行きたくなくなったとしても、一度言ったことを覆すのは信条に反する。
「ところで切原君。手、離してください。一度行くと言いましたし、逃げずにちゃんと行きます。」
「そーかよ。」
自分だって好き好んで手を掴んでいるわけではないと言わんばかりに切原は腕を掴んでいる手を離した。
はこの瞬間も、現れた時からずっと自分を見つめる高宮に視線を向ける。控えめではあるが、向けられるその視線に気づいていないと思っていた高宮はいきなり視線が合って、虚をつかれたように目を見開いた。
「・・・何かついてますか?」
そして問われた言葉を慌てて理解する。
「う、ううん、違うの!あの、、そう、イタリアからの転校生って、噂になってたから!」
「そうですか。生憎一年しかいなかったので、大してイタリア色は無いんですが。」
「そ、そうなんだ!」
珍しくどもりながら話す鈴に切原は首を傾げながらも、すっかり昼休みの鐘が鳴って暫くたっていることに気づいて慌てて屋上へ向かった。
屋上に向かう道中も、高宮からちらちらと向けられる視線を感じながら、彼女に何かしたのか、もしかして知り合いだっただろうかと思うが、思い当たる節が全くなくては考えるのを放棄した。
他人のことで思い悩むなんて慣れないことばかりしていると、知恵熱を出してしまいそうだ。
(一番は放っておいてくれることなんだけど、なんでこうなるんだろう)
高宮と切原の話し声をBGMに屋上へ向かう階段を踏みしめる。あの幼馴染がこの状況を見れば言うだろう。面倒ごとに首を突っ込みやがって、と。
あぁ、やっぱり行きたく無い。逃げたい。そう切実な願いとは裏腹に屋上への扉を躊躇なく切原が開く。
眩しい光に目を細めると、ドアの向こうにやたらカラフルな頭をした男達が円を作って座っているのが見えた。
その中でもこちらを見ている、酷く良い笑顔の男には見覚えがある。切原曰く、テニス部の部長をやっているらしい、練習試合のときに矢鱈絡んできた男だ。
「やぁ、よく来てくれたね。」
「そいつが幸村君の言う、スペシャルなゲストかよぃ?」
髪の毛の赤い男が持っていた箸でを指すものだから、は不快気に眉を寄せた。
それに気がついた柳がすぐにその手を下させる。
「それで、何の御用でしょうか。」
「用?唯の昼食のお誘いだよ。さ、ここ座って。」
とんとんと自分の隣を叩いて見せながら言う幸村には露骨に顔を歪めて見せたが、すでにそこしか空いてい無い。この円から外れて座ったって自分は一向に構わ無いのだが、そうもいかない。
「今日だけ、ですからね。」
「え?それは約束できないな。」
笑いながら言う姿はなるほど爽やかだが、にとっては胡散臭いものに見えて仕方がない。
「君、変わってるって言われない?」
「・・・さぁ、どうでしょう。」
そう答えながらマイペースに弁当箱を開く。余談だが弁当は毎朝景吾の雇ったシェフが作っているものだ。何度か断ってみたが、その場合適当にパンやコンビニ弁当で済ますということを予測した景吾によって却下されている。
同様の理由で朝食も夕食もシェフが作りに来ているのだから、ありがたいやら、自分はなんだと思われているのやらで心中は複雑だ。
「ふふ、ここに呼んだのは君と話してみたかったからだよ。土曜は外野に邪魔されて碌に話ができなかったからね。」
「はぁ・・話、ですか。面白いことは何もないと思いますけど。」
「そんなことはない。」
即座に否定してきたのは幸村とは反対側のの隣に座っている柳だった。
「交友関係といい身体能力といい実に興味深い。何かスポーツでもやっていたのか?青学でも、その前の氷帝の時も部活には入っていなかったようだが・・。」
青学のみならず、氷帝にいたことまで知られているのには驚いては柳をじっと見つめた。
「何故氷帝にいたことを知っているのか、という顔だな。俺は情報収集が趣味でな。青学であったことについてある程度は調べさせてもらった。」
「あぁ、なるほど。」
ということは、あの騒動についても聞き及んでいるのだろう。嫌な男だ。
「悪趣味ですね。」
「そう怒るな。他言はしていない。」
「まぁ、言われて困ることでも、ないですが。」
過ぎたことだし、今となっては自分に後ろ暗いことは全く無いと胸を張って言える。
ただ、こう自分の知ら無いところで嗅ぎ回られるというのも良い気がし無い。
それが分かったのか、柳は肩を竦めてみせた。
「うわ、すげー弁当!」
もう嫌だ、さっさと食べて帰ろうと弁当箱を開けたところで、丸井が感嘆の声をあげた。
「ほんとじゃ。おまえさん、自分で作っとるんか?」
今まで関わってこなかった仁王まで食いついてきたが、は淡々と首を横に振って返すだけだ。
「へー、お前の母ちゃんすげーな。その西京焼きも出し巻き卵もすげー美味そ。卵焼きって料理の上手い下手別れるんだよなー。」
「いやいや、凝りすぎじゃなか?料理人か?」
今日のメニューは、さわらの西京焼きに出し巻き卵、根菜の煮物、竹串に刺された銀杏とそら豆、太巻き。
「あぁ、まぁ、そんなところです。」
実際に料理人だ。母親かどうかは置いておいて。
おそらくの母親がすでに他界していることを知っているのだろう。柳も弁当を覗き込みながらを不審げに伺った。が、この場で其の事を問うほど気遣いができ無い男ではないようだ。
「しかもその包み、アーモンドとカラメルの匂いがする・・・・お菓子だな!」
「・・・・すごいですね。その嗅覚。」
丸井はが肯定の意を示すと、いや、その前から物欲しそうな顔をしてきた。犬か。
「1、2個でしたら差し上げますよ。」
「やりぃ!」
自分の弁当もそっちのけで包みに飛びついた丸井は包みを開けてさらにその目を輝かせた。
「フロランタン!!!」
だめだ、付き合っていたら時間がいくらあっても足り無い。はもう無視して弁当を食べることにした。
「本当に美味しそう。素敵なお母さんだね。」
言われて箸が止まる。事情を知っているのであろう柳が幸村に何か言おうとしたが、それよりも早くは口を開いた。
「”そんなことないですよ”」
その声は自分で聞いてもひどく硬い響きを持つものだった。
<<>>