日曜のお昼。
親戚の家に出かける準備をしているところで携帯電話が鳴って、はポケットから携帯を取り出した。
表示されているのは見覚えのない番号だ。誰からだろうか、と首を傾げながら電話に出る。
「・・はい、加賀です。」
『塔矢です。さんですか?』
電話の相手は予想外の相手で、は一瞬トウヤ?と小さく呟いた。
『さん・・・?』
「・・・あぁ!塔矢さん。はい。です。」
あぁ、あの塔矢か、と漸く合点する。
『昨日の夜、碁会所に行ったら、市河さんがさんの電話番号を教えてくれて、電話してしまったんですが・・・』
「なるほど。」
そう言えば、晴美がアキラに教えるかもしれない、と言っていたことを思い出しながら壁にかけてある時計を見た。
出発まで20分。大丈夫そうだ。
『もう、体調は大丈夫ですか?』
「はい。もうすっかり。ご心配をおかけしました。」
この前の水曜日も何度も口にした台詞だ。
まぁ、あれだけ派手な帰り方をしたのだから仕方が無いだろうが。
『良かった。市河さんに、すっかり元気そうだという話は聞いていたんですが、気になっていて・・・。元気そうな声が聞けて良かったです。』
随分と優しい人だ。と小さく関心する。
『火曜に東京に戻るので、水曜以降、都合が良い日を教えて欲しいんですけど、どこかあいていますか?』
佐為をちらりと見ると、佐為の目は早い日が良いと物語っていて、は頷いた。
「水曜日は碁会所に行くつもりだったので、水曜日が良いです。」
そう告げると、電話先のアキラもほっとしたようだった。
あのような終わり方をした対局だ。
双方ともに気になっているに決まっている。
『良かった。じゃぁ水曜日。碁会所は煙草の匂いがきついので、家で。』
「え?家って、塔矢さんの?」
それ以前に、日曜に体調を崩したのは煙草のせいとかじゃないんだけど、と言おうとするものの、アキラに遮られる。
『はい、結構家も近いようなので・・・あ、学校が終わったら県公園で待ってて下さい。』
確かに県公園は通り道だけどさぁ、と思っているうちに、話がまとまり、結局水曜日、塔矢宅にお邪魔することとなった。
何がどうなったかは知らないが、アキラの中で自分は病弱な少女で煙草の匂いは毒ということになってしまったらしい。
全くの健康体だが、と言ってももうアキラとの電話は切れている。
『水曜日ですか。』
「あ、あぁ、うん。何故か塔矢さん家でね。」
そう言うと、佐為ははっとした後、表情が引き締まる。
『運が良ければ塔矢行洋とも相見える事も・・・。』
「塔矢行洋?・・・あぁ、前言ってた神の一手の人ね。」
頷いた佐為の表情は怖いくらいに奇麗だった。
アキラはずっと気になっていた。
先週、自分との対局中に具合を悪くした少女。
彼女の打ち筋は、かつて無い程衝撃を受けた相手・・・saiの打ち筋に似ている、と。
アキラは、ボタンを押すと同時にがこんと落ちて来たお茶の缶を拾い上げた。
時計を見ると午後12時過ぎ。
もうそろそろ一緒に此処、大阪を回ってる彼が昼食に降りて来る頃だ。
「おう、塔矢。飯行こうぜ。」
その思惑通り、ヒカルがやってきて、アキラは軽く手を挙げた。
「進藤、少し聞きたいんだが・・・。」
「ん?」
ヒカルは首を傾げて、アキラの横に腰掛ける。
「・・・加賀という女性を知っているか?」
「加賀?知らないなぁ・・・誰だ、それ。」
アキラは、ヒカルが嘘が下手なことを知っている。
今のヒカルの受け答えは、真実、だ。
「いや、知らないんだったら良いんだ。」
アキラは、缶の中を飲み干して、立ち上がった。
いつか話す、と言われたsaiについて、まだヒカルから語られることは無い。
ヒカルが知らないのなら、なおさら彼女がsaiである可能性は低いが、対局したからこそ感じるものがある。
(・・・水曜に、聞いてみるか)
もし、saiでないにしても、あの歳で、院生でもなくあの強さは異常だ。
対局が楽しみだ、と携帯をちらりと見た。
家のPCの前、は純粋に驚き、佐為は酷く落胆していた。
見ているのは院生応募規約のページ。
『さん・・・、ここに、院生資格14歳までとあるように見えるんですが・・・。』
「・・・私もそう見えるよ。佐為。」
奇遇だね、と取りあえず笑ってみると、肩を落とした佐為と目が合った。
「・・・ていうか、知らなかったの?」
『はい、ヒカルの時は良く分からないまま申し込んで、そのまま通ってしまったものですから・・・。』
うーん、とはため息をついた。
今年で自分は16歳。サバを読むことも出来ないだろうし。
『・・・』
すっかり落ち込んでしまった佐為に、ため息をつくと、PCを落とす。
「そう落ち込まないでよ。今度塔矢さん家行くし、もしかしたらプロの人と対局できるかもしれないし。あぁ、そういえば前言ってた、ネット碁も家でできるし。」
そう言うと、佐為はを見た。
その目は少し涙ぐんでいて、はげ、と顔を引きつらせた。
「さ、佐為、何も泣く事ないじゃない!」
『だって、さん・・・ショックで・・・。』
はぁ、とため息をついて、は佐為の肩をとんとんと叩いた。
「・・・本屋行こ。新しい棋符買ってあげるから。」
『・・・本当ですか?』
項垂れていた佐為はすっくと立ち上がった。
現金な奴だ、という小さなつぶやきは、幸い、佐為には聞こえなかったようだ。