Dreaming

時を超えて #5

朝、靴を履いていると、階段から誰かが降りて来る音に振り返った。
予想はしていたが、視線の先には、寝癖の酷い兄の姿。


「昨日、ずっと寝てたみてぇだが、大丈夫か?」


あー、ねみぃ、と小さく聞こえる。
何でも良いが、腹をかきながら階段を降りて来るのはやめて欲しい。


「あー、うん。結構寝たからすっきり。」
「そーか。気をつけて行ってこいよ。」


ぽんぽんと頭に乗せられた手を払って、立ち上がる。


「お兄ちゃんも、ちゃんと大学行くんだよ。」
「おー」


兄の返事を背中に受けながら家を出た。
昨日は本当に帰って来て食事も取らずに寝たからか、いつもより2時間も早く目が覚めた。
お風呂に入ってご飯を食べて、余裕で家を1時間前に出る。
だからか、家の前では結構登校する小学生ー高校生をちらほら見かけるのに、今日はほぼいない。


『昨日は、すみませんでした。ヒカルの時も、私の感情が高ぶると具合を悪くしていたというのに・・・。』


碁石に触れることが分かったので、家で一人で遊ぶか聞いたが、意外にも彼は学校についてくる事を選んだ。
ヒカルの時も一緒だったから、ということらしいが。


さんたら、憑いた初日に碁をうちに行った時も、私が碁石を触れることが分かった時も全く影響されているように見えなかったので、すっかり忘れていたんですよ。』


その表情はまだ責任を感じているのか、浮かない。
別に気にしていないのに。


『ヒカルの時は私が強く何かしたいことを願うと、すぐ具合を悪くしていて・・・。そう考えると、初日、さんが平気で碁を打てたのが異常なんでしょうか。』
(前世が前世だしね。人より耐性があるんじゃない?)


家から高校まではバスで10分程かかる。
今日は時間があるし、のんびり歩くか、といつものバス停を通り過ぎた。


『・・・それにしても、思ったんですが・・・。』


少し言葉を切った佐為に、は佐為のいる斜め上を見上げた。


『加賀は、時呉に似ていますね。』


はそう言われてううんと唸った。
昔の、前の兄を思い浮かべる。
喧嘩っ早くて、口が悪くて、勝負事が好きだった時呉は、今の兄である鉄男に似ているといえば似ている。

も、その可能性を考えたことはあった。


(兄上か・・・)


兄と最後に会った、病に臥したときを思い出した。






















佐為は、授業の終わりにが先ほど先生から渡されたプリントを後ろで覗き込んで目を輝かせた。


『なんと!』


ヒカルの時もいくどとなく見た、小テスト。
だが、こんな点数は見た事が無い。


『90点ですか!あんなに座学が嫌いだったさんが!』
(なーんか、引っかかるなぁ、その言い方。)


ふん、と目を反らすと、慌てた佐為が覗き込んで来た。


『いえ、あの、凄くびっくりしただけなんです。』
(・・・・あまりフォローになってないけど。)


えーと、と眉尻を下げて困っている佐為に思わず少し笑った。
すぐにチャイムが鳴り、友人がやってくる。


「ねぇねぇ、ちゃん。さっきの問題なんだけど・・・。」


そう言って出されたプリントの問題に、はシャープペンを取り出した。


『しかも、人に教えるまでに・・・!時呉、さんは立派に成長していますよ!』
(・・・佐為、うるさい)
『す、すみません。』


感動の余り、天を仰いで叫ぶ佐為に、が注意すると、静かになったのを確認して、はさらさらと解法を書いて行く。


「あ、そっか。ありがとう。」
「いえいえ。」


納得した友人は礼を言って席へと戻って行った。


(・・・最初は学ぶ学問は違うし、常識も違うし、結構戸惑ったけど、今回は座学もちゃんとやろうと思ってね。)


よいしょ、と荷物をまとめる。
今日の授業はさっきのですべて。放課後は補講をやっているが、生憎とそれまで出るほど彼女は熱心ではない。


(次は水曜日、碁会所に行こうか。)
『良いんですか?平日は難しいんじゃぁ・・・。』


体調も、気になりますし。と小さく言ったのが耳に入って、再び、もう大丈夫だと主張する。


(毎日遅くなるのは親に心配かけるけど、水曜くらいなら大丈夫でしょ。)
『・・・良いんですか?』


揺らいでいるな、と佐為の表情を見ながら思う。
ここで頷けばきっと佐為も頷くだろう。佐為が碁に触れたいのは痛い程分かっている。


(うん)
『ありがとうございます!』


うれしいです!と佐為はにこにこと隣で笑う。
靴箱を出ると、ぱらぱらと降り始めた雨に、折り畳み傘を出した。


『随分と小さく纏まるものですね。』
(あぁ・・・そうよねー)


言われてみればそうだ、と開いた折り畳み傘と、それが入っていた小さな袋を見比べた。


『ヒカルに憑いたばかりの頃は、あの、勢い良く開く傘に驚いたものです。』


佐為の横顔を見ると、その懐かしむ表情に、気づく。
きっと、会いたいのだろう。話に聞くと数年一緒に過ごし、碁から無縁の少年を今や話題の立派な棋士に育て上げたのだ。
会いたいに決まっている。


(・・・そのうち会いに行かなきゃね。ヒカルくんに。)
『え?』
(だって会いたいんでしょ?)


小雨で良かった。足元がまだ汚れずに済む。
は足元を確認しながら言う。


『えぇ、それは、そうですが・・・。』
(相手はプロだし、機会を作るのはちょっと難しいかもしれないけど。)


そういえば、アキラはヒカルと同じプロだし、うまくいけば会えるかもよ?と続けて言うと、佐為のうつむいている顔。
どうしたのだろうか、と首を傾げた。


(どうかした?)


声をかけると、佐為ははっとの視線に気づいて、顔を上げた。


『いえ。ヒカルと会うの、楽しみにしています。』
(・・・?)


取り繕うような笑顔に、疑問を抱く。
楽しみにしているというのは本心だと思うが、何を懸念しているのだろうか。

沈黙の中、傘にあたる雨音が大きく聞こえた。
ややあって、少し強くなって来た雨。
は丁度バスを見つけて、佐為が気になりつつも走って乗り込んだ。