Dreaming

時を超えて #3



家に帰って倉庫に向かう。確か、兄が使っていた碁盤がこっちに保管されていたはずだ。


『え、明日も碁会所に行ってくれるんですか!?』


それにしても埃臭いなぁ、とドアを開けた途端漂う倉庫独特の匂いに小さく咳をした。


「良いよ。平日は余り打てないし、来週は日曜に用事があるから。」
『ありがとうございます!』


案外すぐに見つかった碁盤が入った段ボールの埃を落として、はそれを持ち上げた。


『大丈夫ですか?重くないですか?』
「多少はね。」
『私が持てれば良いんですが・・・。』


案外重くないから大丈夫。と言ってそれを部屋に運び入れた。
段ボールは汚かったが、中は結構奇麗に保存されてあって、汚れは全く気にならない。
石の入った箱を取り出して、早速打つ練習を始めた。


「・・・こう?」


そう言いながら、佐為の言う通り、石を置こうとすると、指から落ちた石がころころと転がった。
思わずため息が漏れる。
まさか石を打つのがこんなに難しいとは。


「・・・・」
『きっとすぐ出来るようになりますよ!』


そう励まされて、やろうとするが、やはり上手くいかない。
10分ほどで飽きてしまったはごろんと転がった。


「難しー。」
『難しいですかねぇ・・・。』


そう言って佐為は今までが、練習していた石を見つめた。
掴めないと思いながらも、何とはなしに、石に手を伸ばす。


ぱちり


起きるはずの無い音にも驚いて起き上がった。
その視線の先にはさらに驚いている佐為がいて。


『・・・ま、まさか・・・』
「え、今本当に佐為が打ったの?」


返事を聞かなくても、佐為の表情を見れば分かった。


それからしばらく、触れるのが嬉しくて仕方が無い佐為は石をひたすら触ったり打ったりしていた。
その横で考えるように頬杖をついているのは


『まぁまぁ、触れているんだから良いではないですか!』


嬉しいのは分かるが、面倒を見ている側としては把握しておく必要がある。
一緒に外にいて、これ触れちゃいましたね、では済まない。


「佐為、こっちの石は?」
『え?』


出したのは、今開けたばかりの石の入った箱。
佐為はおそるおそる触れようと手を伸ばして、空を掴んだ。


「・・じゃぁ、こっち。」


そう言って、は今佐為が触れなかった石を手にもって、佐為の手に手渡した。


『も、持てました!』


佐為の手をすり抜けること無く、そこにとどまっている白い石。
はなるほどと頷いた。


「私が触ったものは触れるみたいだね。」
『なんと!!さん!早くこの石全部触って下さい!』


催促する佐為には呆れたようにため息をついた。


「はいはい。」


じゃらじゃらと石を触っていると、昔遊んだおはじきを思い出した。
















時を超えて #3

















ぱちん


指先から伝わる石の冷たさと、打つ感触に、佐為はただただ夢中になっていた。
約2千年ぶりに触る石への感慨深さは推し量れない程だろう。

それはとて理解している。


「理解はするけど、夜中はやめてよ!」


がばりと起き上がったはぎろりと嬉しそうに碁盤に向かう佐為を睨んだ。
とたん、びくりと佐為は肩を揺らし、おそるおそるを見たかと思うと首を傾げる。


「そんなね、可愛こぶったって駄目だよ、佐為。」
『い、いえ!そんなつもりは!!でもでも、分かって下さいさん!!』


慌ててベッドに駆け上がって来た佐為はの横に正座してを見つめる。


『すっごく久しぶりなんです!それに、自分の手で打つなんて絶対無いと思っていましたので・・・。』


途端に、しゅんと項垂れる彼に、は大きくため息をついた。
そしてちろりと佐為を見る。
昔はもっとしっかりしていたが、どうも見ない間にどこか抜けてしまったようだ。
ゴールデンレトリバーのように見える。


「・・・分かった。今日だけだからね。」
『!!!』


ありがとう!ありがとう!と抱擁とともに頬ずりされて、はようやく床についた。
























さん!さん!起きて下さい!』


ゆさゆさと揺さぶられては覚醒した。
今日は日曜だから、アラームは鳴らない。


「なによ・・佐為・・・。」


まだ眠い。やめてくれ、と虫を避けるように、手を払うが、それに負ける佐為ではない。
むっと頬を膨らませたかと思うと、布団をはぎ取ったのだ。


「さ、寒!!」


くそう、こいつ、そういえば私が触ったものは触れるんだった、厄介なことに!と思いながら見上げると、にこにこと笑っている佐為が隣に立っていて。


『碁会所、連れて行って下さい!約束ですよ!』
「あー、そういえばそんな事も言ったっけ・・・。」


がしがしと寝癖のついた頭を掻きながらは上半身を起こして、ベッドに腰掛けた。


『ね、ね?早く行きましょう?』
「・・・もう、分かったよ・・・。」


諦めたようにため息をついて、は立ち上がった。
着替えるのだろうと、察して、佐為は外に出た。


1時間後、碁会所に向かったは着くなり、コーヒーを頼んだ。


「あら、今日も来てくれたのね!」
「あぁ、はい。早く対局に慣れたくて。」
『結構早い時間なのに人がいますね。早く行きましょう!』


はいはい、と頷きながら、紙に名前を書いて、お金を払う。


「おぉ、昨日のお嬢ちゃん!また相手してくれるかい?」


そこには昨日対局したうちの一人がいて、手を挙げる。
はちらりと佐為を見て、頷くのを確認してからそちらへ向かった。


「もう、昨日一日しか来てないのに、もう人気者ね。」


苦笑しながら晴美はの横のテーブルにコーヒーを置いた。


「だって、晴美ちゃん、見ただろう?昨日の。」
「そうだねぇ、誰も歯が立たないどころか、すごく勉強させて貰って・・・。」
「そうね。私も今度お相手して欲しいわ。」


と、肩に手を置かれウィンク付きで言うもので、こちらも満面の笑みで頷いておいた。


すぐさま始まった対局に、佐為は嬉々として、扇子で碁盤を指す。
相手が考えている時間にコーヒーをこくりと飲む。
眠いのは事実だが、眠そうに対局しては今度から此処に来づらくなるかもしれない。
ここの雰囲気や人は結構気に入っているのだ。


さん、さん、こちらですよ。』


ぼんやりと碁盤を見ていると佐為にとんとんと肩を叩かれて、は再び佐為の指す方へと石を置いた。
今朝、少し練習したおかげで、石を置く様子は少しは様になったように思う。


(本当に、佐為は今も昔も囲碁馬鹿よね)
『馬鹿とは何ですか!』


とやり取りしながらも、しっかりと石は佐為の指す方へと置く。


「・・・ちゃん、本当に対戦したことないのかい?」


投了の後の検討(勿論、佐為の言うままに言うだけだ)を終えたところで、目の前の男性が言うので、は苦笑するしかない。


「いや、ただ、人に教える碁が上手いなぁと思ったからね。」
『そうでしょう!そうでしょう!』


得意げにいう佐為に半ば呆れながらはありがとうございますと礼を言う。


「やっぱりネット碁の経験があるからですかね。」
「それにしても・・・こりゃぁ若先生と良い勝負になるかもしれねぇな。」


途中から見ていた別の男性が呟く。
若先生とは誰だろうか、と首を傾げると、晴美が横で教えてくれる。


「アキラくんのことよ。」
「あぁ、昨日言ってた。」
『早く対局したいですね!』
(今度ね。今度。)


それにしても、いつの間にかお昼だ。
お腹がすいた、と時計を見る。


「嬢ちゃん、今度は俺とだ。」
「じゃぁ、俺はその後だな。」
「え?」


これは、昨日のようになし崩し的に対局させられる気配が、と思わず顔がひきつる。


「もう、皆、お昼時なんだから、察してあげてよ!それに昨日みたいになだれ込むように対局を申し込んだら、ちゃん、びっくりしちゃうでしょ!!」


ね!と晴美に言われて、助かったと言わんばかりに頷く。
その後は、晴美に誘われるままに外に昼食を取りに行った。
昨日今日と来た限り、女性客をみない所を見ると、おそらく本当に女性客が来てくれて(しかも年下の)嬉しいらしい。


「だって、お昼食べるっていったら、あのおじさんたちとでしょう?花が無いわよ、花が!あ、でもアキラくんがいる時は良いんだけどね!」
「アキラくん、ですか。」
「あ、今度是非会ってみて!余り同年代の友達、いないみたいだし、ちゃんとなら良い囲碁仲間になると思うのよね。」
『そうですね。是非、打たせて頂きたい。』


めらめらと熱気を背後から感じ取って、は嘆息した。


「あれ、アキラくん!!」


晴美が嬉々として声をかけた先をつられて見ると、一人の青年。
佐為もじっと彼を見ている。


(彼が、そのアキラくん?)
『えぇ、ヒカルのライバルです!』
(あぁ、例のヒカルくんね。)


どうも知らない名前ばかり増えていて困る、と、は目の前の青年の顔と名前を一致させるように見た。
アキラは晴美の隣に見知らぬ女性が立っていることを疑問に思ったようだが、すぐに笑顔で会釈をする。


「お久しぶりです。市河さん。今から碁会所に行こうと思っていたんですよ。」
「あら、そうなの?お昼から戻ってくるまでいてくれると嬉しいんだけど・・・。」


ふと、晴美はとアキラを見比べた。


「あ!丁度良いわね。私たち、今からお昼に行くところなんだけど、アキラくんもどう?」
「え?」
「うん、決まり!ほら、行きましょ!」


アキラも、も押し切られて、喫茶店へと入ってしまった。
お腹がすいていたので、嬉しいと言えば、嬉しいが、居心地が悪い。
ちらりとアキラを見ると、彼も同じようだ。


知らず知らずのうちに彼とため息が重なった。