希望通りの学部に入学したは、とりあえず、前期、取れるだけの単位を取ろうと授業を詰め込んだ。
後期には新人王戦もあるし、他の棋戦にも出来れば出たい。
(人間の脳とは、このような作りになっていたのですね・・・)
心理学の基本講座で、出てきた脳の機能を説明する資料を佐為は興味深そうに眺めている。
(そうだね。昔は知りえなかった事だから、楽しいでしょ?)
最初は退屈だろうから、と家にいることを勧めたものの、一度行って見たいという佐為を授業に参加させてからというもの、彼も今ではと一緒になって授業を受けている。
授業の終了を告げる音が流れ、は教科書やノートを片付けて立ち上がった。
「あ!久世さん!!待って!!」
そしてさっさと帰ろうとするものの、引き止める声に足を止める。
(おや・・・)
佐為は彼に見覚えがあった。
大学に入ってからというもの、毎日のようにの元にやってくるのだ。
「先輩。どうかしました?」
「どうかしました、じゃなくて、いい加減囲碁サークルに入ろうよ!是非大学対抗戦には出て・・・」
「お断りします。」
間髪居れずには答えて背を向けた。
(いいんですか?)
(いいの。何回断っても来るんだから、相手にすると逆効果よ)
佐為は、ちらりとの背を見つめる男性に視線を向けた。
(彼、さんのこと好きなんじゃないんでしょうか。)
(・・・・それこそ、相手にしちゃ駄目でしょ?)
苦笑して答えると、佐為は頷いた。
時を越えて #28
大学側と話し合い、何とか新人王戦は出ることが出来たは、全勝で今年の新人王に輝いた。
それに加えて、今まで負けなしという文句無しの戦歴。
大学生という二束の草鞋を履いているのにも関わらず、その輝かしい戦歴にメディアが食いつかない筈がなかった。個別インタビューも去ることながら対談まで容易され、年が近いということで、アキラとヒカルとの3人での対談に、はひやりとした。
「インタビューは初めてか?」
「うん。明日が個別インタビュー。」
そう言うと、ヒカルは少し考えるように口を閉じた。
「一部に、俺が行洋先生とsaiの対決の手引きしたことはバレてる。はsaiとしてネットで打っていたって設定にするだろ?だったら俺と面識が無いとおかしい。」
「あ、そうなんだ。」
「、お前、俺の師匠だったってことにするか。加賀は俺の中学の先輩だから、繋がりがあったといえば、どうにかなりそうだし。」
アキラはそれに少し不満を覚えたようだった。
「どこで出会ったか、いつからかとか、詳細な事を詰めないうちに言うのは不味いんじゃないか?」
「出会ったのは俺が中1の時。そんで、碁会所で出会った時に加賀の妹ってことが分かって、そこから碁を見てもらうようになる。頻繁には会えないから、ネット碁でも見てもらってたってことにするか。」
ヒカルは頭が余りよい方では無いと思っていたが、こういうことに関しては頭が回るようだ。
「最初は私の師の話が出てきても、上手く話をそらして、終盤でもその質問が出てきたら、それで行きましょう。」
どっちみち、今後そう説明していくのであれば、今回のインタビューでその話を最後にして、更に質問が出てきたところで時間の都合で打ち切りという形にして、質問の回答は今後の為に考えておくという形にすれば良いだろう。
「佐為、よろしくね。」
『任せてください。』
丁度インタビューの時間も来たところだし、4人は控え室からインタビューを受ける部屋へと移動した。
インタビュアーは囲碁雑誌記者の女性だった。
それに少しだけほっとする。
「今日はお時間頂きありがとうございます。」
握手を求めてきた記者に3人が順々に握手を交わす。
椅子とテーブルだけ用意されている部屋は簡素なものだった。
「まずは加賀さん、新人王おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
最初は当たり障りの無い(と言っても、今回の主役はだから、当たり障りが無い訳ではないのだが)内容から始まって、は時に佐為と相談しながらも答えていく。
「まさか、新人王が獲れるとは思っていなかったので、少し驚いています。」
「院生の経歴も無く、外来でプロ試験に合格されたと伺っています。それも全勝で。どこかで囲碁を習っていらっしゃったんですか?」
ここは予想通りの質問だ。
「最初は古い棋譜から勉強を始めて、その後はネット碁で経験を積みました。院生になろうとは思ったんですが、その時にはもう院生になる規定外の歳になってしまったので。」
「そうなんですか。また、大学に入学されるとほぼ同時期にプロ入りだったと思いますが、プロ試験と受験が重なって大変だったんじゃないですか?」
は微笑を浮かべた。
「それは、確かに大変でしたけど。私、大学で勉学にも励みたかったですし、碁もこれから真剣に取り組んで行きたかったんです。だから、辛いというよりも、合格した時の嬉しさで、辛さなんて吹っ飛んでしまいました。」
よく言うよ、とヒカルは内心、愛想笑いを浮かべてぺらぺらと喋るに賞賛の拍手を送った。
「進藤さんと塔矢さんとは年も余り変わらないですし、今後が楽しみなんではないでしょうか。」
ようやく、ヒカルとアキラに話が振られて、アキラが口を開いた。
「そうですね。楽しみと同時に恐ろしくもあります。私も、追い抜かれないように精進しなければ、と。」
苦笑まじりに言うと、周りが少し笑う。
「進藤さんは、如何ですか?」
振られて、ヒカルはの顔をじっと見た。
インタビュー時間は30分。そろそろ頃合だろう。とが頷く。
「・・・実は、は俺の碁の師匠なので、正直これから対戦するのが怖くもあります。けれど、同時に対局が楽しみです。」
それに、記者はぽろりとペンを落としかけた。
「俺の目標は、彼・・・じゃなくて、彼女なので、いつか勝ちたいと思っています。」
の後ろで成り行きを見守っていた佐為が扇子をぱちりと閉じた。
その視線はヒカルに向かっている。
『望むところです。ヒカル。』
「望むところよ。」
佐為の言葉を変わりに言うと、記者は興奮したようにペンを拾って口を開いた。
「師匠って、進藤さん、師はあのsaiと噂で伺いましたが・・・。」
「あぁ、はい。ネット碁で碁をするときはsaiという名前を使っています。学生の身でしたし、まだプロになる決心がついていなかったので、表には顔を出さないようヒカルにはお願いしていたんですよ。」
記者は口を唖然とした様子で開けて、を見た。
「えー!加賀さんってあのsaiだったんですか!?私、ファンだったんですよ!」
「え?」
聞いてはいたが、saiという名前は相当の影響力を持っているようだ。
少し早まったか、とも思ったが、今後この話題は嫌でも付いて回る。
なるべく早めに話を出して、相手がどういう反応を取るのかは見ておく必要がある。
「何で一時期姿を消していたんですか?」
「・・・・その頃、将来について悩んでいたので、お休みさせて貰っていたんです。」
尤もらしい言い訳に、相手も納得したようだ。
「・・・すみません、そろそろ時間が・・・。」
アキラが腕時計を見ながら言うと、記者ははっとして、カメラを手に取った。
「もう少し話を伺いたかったんですが・・・最後に3人で一枚、加賀さん1人で1枚取らせて頂いても良いですか?」
「ええ、いいですよ。」
アキラが答え、立ち上がると、とヒカルも立ち上がった。
(佐為、ちょっと離れてて、もし写真に写ったら困るから。)
(あ、はい。)
佐為が離れたのを確認しては2人の横に並んだ。
とりあえず、何とか乗り越えた、とは控え室で息を吐き出した。
「佐為、ちょっとヒカル君と出会ってからのこと、年表にしておいて。日付が分からなければ、何年のどの季節だったかでも良いから。」
『分かりました。』
目の前にお茶が差し出されて、その主を見ると、アキラが立っていた。
「お疲れ様です。」
「ありがと。」
受け取って飲むと、それは暖かくて、落ち着いた。
「これで、進藤の方も一応想定問答は考えておいた方が良くなったな。この後、僕の家で少し考えよう。」
最初に設定を細かいところまで考えてしまえば、後はどうとでもなるだろう。
それに、今回の記事も日本棋院に公開されるだけのものだ。そう大きな反響はあるまい、というの予想は大きく裏切られた。
公開されてからというもの、日本棋院で出会う人出会う人にあの記事について聞かれるのだから。
『凄いですね・・・』
(・・・・佐為、あんたどんだけ、やらかして来たのよ・・・)
あの話本当か、今度ネット碁で、やら。かかる声は途切れない。
『やらかすだなんて!』
(あー、そうね。佐為からしたら純粋に囲碁を楽しんでいただけよね)
そう心の中で呟きながら、ヒカルがいるであろう場所へ向かう。
彼が佐為と出会ってからの年表を作り終わったという話を聞いたのだ。
(まぁ、暫くは日本棋院に寄り付かないけどね。)
何しろ、そろそろ試験が待っている。
プロ棋戦はあるものの、今回は出場は見送る予定だ。
「お、来たか。ほら、これ。」
部屋に入ると、ヒカル1人だけだった。
差し出された紙を開くと、随分と汚い字で書かれてある。
「・・・・予想はしてたけど、字、汚いのね。」
その言葉に沸点の低いヒカルがぎゃーぎゃー言い始めたのは言うまでもない。
インタビュー
2013.5.5 執筆