『さんの兄君、時呉が呪いによってこの世を去った時、彼女はそれをずっと後悔していました。
自分が油断していたからこんな事になった。今まで様々な呪いを祓って来たのに、こんな肝心な時に役に立たない、と。
そして、彼女がようやく時呉の死から立ち直り始めた2年後、私は囲碁の試合で相手の謀略に嵌り、流刑となりました。
さんは、その相手が以前から私のことを敵視していたことをご存知だったようで、自分がもっと早く手を打っていれば、と、涙ながらに謝られた事を今でも思い出します。
ですが、彼女がここまで、負い目を感じているのは私のせいなんです。
私が、さんに何も相談できず、自害したから・・・。』
アキラは最後の行を見て目を見開いた。
時を超えて #21
「・・佐為さん、貴方が流刑で流された場所って・・」
さらさらと書かれた地名に、アキラは立ち上がるとその紙とペンと手に取って部屋を出た。
珍しく足音荒く降りて来たアキラに何事かと明子が顔を上げた。
「あら、アキラさん。どうしたの、そんなに慌てて・・・。」
「すみません。急用が出来て。もしかしたら今日は戻れないかもしれませんが、心配しないでください。」
その表情と言葉に明子は眉を寄せた。
もう働いているとは言っても、アキラはまだ未成年だ。
「でも、」
「明子、緒方君からアキラを貸してくれと先ほど連絡があった。」
思わぬ所からの助け舟に、アキラは驚いたように行洋を見た。
幸い、明子も行洋の方を向いていて、気づかれていはいない。
「あら、そうなの?・・もう、びっくりしたわ。気をつけて行ってらっしゃい。」
鶴の一声とはこのような事を言うのだろうか。
アキラはぼんやりとそう考えながらも笑顔を作って頷いた。
「佐為さん、きっとさんは伊豆にいます。」
佐為が傍にいるのかどうかも分からない。傍から見たら異常だろう。
しかし、アキラは見えなくても何となく佐為が横にいるような気がした。
「実は、今日のお昼、さんに会ったんです。その時、彼女は貴方の事を話していました。」
入水自殺、のくだりを言おうか迷って、言葉をしまう。
「電車の中で、場所を教えて下さい。僕がその場所に連れて行きます。」
やはり、佐為の姿は見えないが、彼が頷いたような気がした。
新幹線は意外と空いていた。
それが幸いし、伊豆に付く頃には完成した地図を手に、アキラは駅に降り立った。
構内の伊豆の地図を手に取って佐為の地図と照らし合わせる。
地形は余り変わっていないらしい。
タクシーを捕まえて走る事40分。
静かに佐為と筆談をしていたアキラは、運転手の着いたという言葉に顔を上げた。
車が停まると、潮の音が聞こえて来る。
『こちらです』
その言葉とともに書かれた矢印に、アキラは足を踏み出す。
すっかり変わってしまっているだろうに、よく、分かるものだと関心する。
「・・すみません。何も考えずに道案内を、と言ってしまいましたが、ここは、佐為さんにとって辛い場所なんですよね・・。」
流刑だとか入水自殺だとか、アキラにはその時どんな思いをしたのか想像が出来無い。
ただ、壮絶なものであるのは確かで、急に申し訳なくなった。
『いえ、私の方こそ、感謝しています。私1人ではとても辿り着けなかった。』
その紙に視線を落として、何か言おうと視線を上げた時、遠くに人のシルエットが見えた。
辺りは住宅もまばらで、明るくも無い。
ただ月だけは綺麗に輝いていて、その光を受けて浮かび上がったシルエットをアキラは知っていた。
「さん!」
思わず、佐為のことも忘れて走り出した。
背を向けていたはアキラの声に弾かれたように顔をあげた。
近付いて来る姿は、はっきりと見える。まさか、ここで会う事になるとは思っていなかった。
「・・こんな所に一人でっ」
こんなに声を荒げる彼を見るのは初めてだ。
普段、あんなに温厚な人なのに、とはこの場に不釣り合いな事を考える。
そんな事を考えていると、身体が揺れた。
掴まれた肩が、少し痛い。
「何かあったらどうするんだ!」
そう怒鳴られてしまって、驚く。
「貴方は、何でそんなに1人で背負い込むんですか」
彼の表情に、圧倒される。
「何で、何も言ってくれないんですか・・!」
こんな、怒られるなんて何年ぶりだろう。
は何度か瞬きした後、視線を落とした。
「・・ごめん。」
素直に謝ると、アキラは大きく溜め息をついて、肩の力を抜いた。
ようやく、肩を掴む手の力が緩む。
「心配しましたよ。・・・いや、してる、と言った方が正しい。」
そう言われてしまうと面目が無い、とは困った様に眉を下げた。
確かに、今回は完全に自分の、暴走だ。
「・・・よく、ここが分かったね。」
そう言いながら、アキラの後ろに目をやると、見慣れた姿が見えた。
容易に想像できる。彼がアキラをここまで連れて来たということ、いや、連れて来てもらったという方が正しいかもしれない。
「はい、佐為さんがここではないか、と。」
目が合うと、佐為はぎこちなく微笑んだ。
アキラはそれに気づいて、の肩から手を離すと、身体をずらしての目線の先を追う。
そして、目を見開いた。
と佐為が手を取り合っている訳ではないのに、佐為の姿が見えたからだ。
「佐為、ごめん。」
佐為は静かに首を横に振った。
「あの時、ちゃんと私が対処しておくべきだった。」
『いえ、そんなことはありません。』
「そんなことある!私が、ちゃんと佐為に伝えて、あの対局をやめさせてれば良かったのに!」
『違うんです!』
珍しく、佐為が声を大きくして、反論した。
それに驚いても口を噤む。
『私は、知っていました。彼が、私を陥れようとしていたことなど。』
なら、なぜ、と問う前に佐為は続けて口を開いた。
『私にも矜持はあります。彼に恐れをなして、対局を蹴ったなどと思われては末代までの恥。』
はぁ、と溜め息をついて、佐為は、昔身を投げた先を見た。
『だから、さんのせいなんかじゃ、ないんです。』
アキラは、それきり黙った2人に何と声をかけて良いか分からず、開きかけた口を閉じた。
軽々しく声をかけれる話しではない。
「・・・ほんと、佐為も碁に関わると頑固で融通がきかないんだから。馬鹿よ。ばか。」
『そうですね。』
苦笑して佐為も頷く。
アキラは、もし自分が彼の立場だったら、と思いを馳せた。
天皇の指南役をかけた戦い。自分のことを好ましく思っていない相手からしたら恰好の場だろう。
十中八九何か仕掛けて来る。
その時、自分はどうするだろうか。
そう考えて首を横に振った。
きっと佐為と同じだ。
懺悔