この流れからして、この時の記憶を見るのは何となく分かっていた。
それでも、また見たくは無かった。
映画のスクリーンを1人で見ているような気分。
はぐっと口を噛み締めて、不機嫌そうに着物を引きずって歩く「自分」を見た。
は従兄弟にあたる現天皇に呼び出されたのに、不機嫌であることを包み隠さずに御所へと向かっていた。
年頃だということで数名の侍女はどこに行くにもくっついて来るし、2年前、兄がこの世を去って以来、口喧嘩する相手も居ない。
「しかし、佐為殿も気苦労が絶えないようですな。」
「あぁ、顕忠殿ですか。」
庭に面した廊下。落ちた簾の向こうから聞こえて来る声には足を止めた。
「どうにか佐為殿を蹴落とそうと画策しておられる。」
くつくつと笑いも混じって聞こえて来て、は眉を寄せた。
足を止めたに侍女達は目を見合わせ、どうしたのかと尋ねようとした時、は開いていた扇子を音を立てて閉じた。
「面白い話しをしておられる。」
簾は落ちたままだが、向こう側の2人が驚いた様にこちらを見るのが伺える。
「是非、私もそのお話、伺いとうございます。」
ちょんと持って居た扇子で簾を突くと、簾はするすると上がって行って、2人の男の驚いた顔が見て取れた。
「障子に目あり、壁に耳ありとは良く言ったもの。」
侍女は、姫、と窘めるように声をかけるが、は全く気にせずにくつくつと笑うと扇子を開いた。
ひらりとその扇子の影から躍り出た蝶が2匹、男の影にするりと溶け込む。
「あぁ、いや、今は影に耳有り、といったところか。」
「姫、お戯れを。」
男は引きつりつつも笑って躱そうとするが、失敗する。
「なぁに、そんな強いものではない。保って1日やそこら。ご安心を。」
もう一度、扇子を閉めて、は背を向けて足を進めようとするものの、侍女が引き止める。
今、は大事な時期。妙な噂が広まっては具合が悪いのだ。
「姫、」
「だって、気に食わないじゃない。」
そう言って振り返ると、2人の男と目が合った。
時を超えて #19
「え?」
その報せに、は目を見開いて、筆を落とした。
「佐為殿は伊豆国流罪、と。」
「嘘だ!佐為がそんな欺くような真似をする筈が無い!」
思わず声を荒げたに、侍女は落ち着かせようと声をかける。
何があったのか。昨日の碁の対決しか思い浮かばない。
相手は・・・
「菅原顕忠・・・」
少し前、朝廷で耳に挟んだ会話が蘇る。
まさか、こんなことになるとは、あの時捨て置かなければ、と瞬時に後悔の念がこみ上げる。
「佐為に会いに行く。」
「なりませぬ。今、姫は婚儀を控えた大事な時期。妙な噂が流れては困ります。」
不機嫌を表すようにの眉が上がる。
「妙な噂?別に構わない。」
「様!」
口論を聞きつけた他の侍女もやってきて引き止めようとするが、はそれに制されるようなことは無い。
ぎらりと光った目に侍女は口を噤んだ。
「検非違使として会いに行く。文句は聞かない。」
この時代、女性で公務に携わる者はいなかった。
しかし、呪詛関連の調査に入れるものはごく少数。
安倍晴明の孫娘である彼女はその道の能力も高く、希少価値が高いがために検非違使としての地位を確立していた。
「馬を」
着物だとか気にする事無く、は侍女を置いて部屋を出た。
その肩にはいつのまにか出て来ていた黒い鷹の影が乗っている。
「菅原顕忠の所へ。情報を取って来て。」
そう告げると鷹は頷いて空に飛び上がった。
兄が他界した2年前、ずっと付いていてくれた佐為。
その傷が癒える前に勝手に進んで行った婚儀についてもの弟に会いに来る名目で屋敷に足を運んで話しを聞いて支えてくれていた彼を失うのは耐えられない。
流罪となれば軽々しく会うことは叶わないのだから。
「どうにかしないと」
そうは言っても相談出来る兄はもういない。
自分でどうにかしなければいけないのだ。
当たり前だが、菅原顕忠が嵌めたという証拠は無い。
1人で佐為を庇うこともできず、佐為は流罪となってしまった。
そんな状況の中の婚儀には不満を隠しきれずに居た。
相手には悪いが、其れどころではないのだ。
にできるのは佐為に文を送るだけ。
すぐに伊豆に行きたくとも、婚儀のせいで都から出ることが出来無い。
(今まで、数えられないくらい佐為に支えてもらって来たのに)
佐為から返ってくる文の内容を見ても、彼が以前の精神状態ではないことは分かっている。
婚儀など、と思うが弟のことを考えると家の名前を潰す訳にもいかない。
その結果、は半年もの間都に留まることを余儀なくされたのだ。
佐為が流罪になってから半年。
誰もが寝静まる頃合いには目を覚ました。
(胸騒ぎがする。)
立場上、伊豆へ向かうのが不味いのは分かっている。しかし、だからと言ってじっとしていられる性格ではなかった。
は印を結ぶと、己とそっくりな「人形」を作り出し、布団に横たわらせた。
伊豆まで馬を飛ばして1日と少し。
迷うことなく、は伊豆に向かった。
佐為の家に辿り着くまでの記憶は余り無い。
大分前に入手していた地図を元に馬を走らせる。
伊豆の佐為がいるはずの小さな屋敷・・・というには及ばない程の家を見つけて、は馬から飛び降りると中へと駆出した。
すっかり明るくなった辺りに、探すのは容易かと思ったが、彼の気配は感じられないし、念のため中を探しまわってみても佐為は見当たらなかった。
(あぁ、どうしよう、佐為!)
どこにいるのだろうか、と動きを止めると、外から海の音が聞こえて来た。
嫌な予感に気持ちが悪くなる。
自分のこういう嫌な予感は、あり得ない程当たるのだ。
(まさか)
胸騒ぎが強くなる中、家を出ると、裏手は崖。
「佐為・・・!」
遠目に草履が見える。彼が良く好んで履いていた紫の緒の草履。
は血の気が引くのを感じた。
映像に合わせて、自分も血の気が引くのを感じ取って、は息を短く吐き出した。
過去の話しだと自分に言い聞かせてみても、目の前の光景がリアル過ぎて、感情を押さえることが出来無い。
あぁ、叫び出してしまいそうだ。
「私が、もっと気を配っていれば」
ぼろぼろと頬を涙がこぼれ落ちる。
「私が、世間体を気にしないで、もっと早く佐為の所に行ってれば」
何度後悔したか分からない。前も、今生も。
目の前が真っ白になる。
「私は、いつも間違えてばかりだ!」
顔を覆って、その場に崩れ落ちる自分を支えてくれる人は、今、いない。
当たり前だ。
此処は自分の夢の中なのだから。
「・・・兄上も、佐為も、何でもっと早く気づかなかったんだろう」
そっと手を離すと、同じ様に、崩れ落ちている「自分」が目に入った。
「いつだって、私は・・・!」
言葉は続かなかった。
頬に走る、強い衝撃に一気に現実へと連れ戻された。
涙でぼやける視界に入って来た顔に、思考が付いて行かない。
「どんだけでけー寝言言ってんだよ。」
言葉ではそう言いつつも、心配そうな顔に、は目を見開く。
何でここに兄がいるのだろうか。
「前も言っただろ。少しは頼れって。」
そう言って乱暴に顔を拭われて、どうして良いか分からずに目を瞑る。
頭の上から、溜め息をつく声が聞こえた。
「・・・何の為にまた兄妹になったと思ってんだよ!」
その言葉に違和感を感じてはびっくりしたように目を開いて鉄男を見た。
すると、鉄男も同じく驚いた様に眉を寄せている。
「あ?・・何言ってんだ、俺。」
鉄男は良く分からないそれを放棄するかのように頭を掻くと、今度はぐちゃぐちゃとの髪をかき混ぜた。
「とにかく、悩んでんならこんなになる前に言え。」
そうして、の顔を覗き込んだ鉄男は少し笑ってティッシュを押し付けた。
悪夢(2)
2012.3.18 執筆