父も母も既にいない。
は目の前に横たわる兄をしっとりと濡れた目で見つめた。
「姉上・・」
弟の気遣う声が聞こえる。
恐らく、誰が見ても彼女のショックは大きいと見て分かるのだろう。
「私が、祓いになんか行かないで、家に留まっていれば・・・。」
兄の首に残る、呪いの跡。
「・・・嫌だ、兄上、置いて行かないでよ。」
数年前、父母が死去し、この家を、自分を守って来てくれた兄はもう動く事は無い。
はぐっと手を握りしめた。
「姉上、気をしっかり。無茶なことをしては、だめだ。」
「分かってる。」
弟はの目を見て、首を横に振った。
「分かってません。首謀者については検非違使に任せて、少し休んで・・・。」
「検非違使?・・・任せられない。」
確かに姉は高名な陰陽師だ。呪術関係ならば彼女が出て行くのが早いし、今までもそういう協力はしている。
しかし、弟は平静を失っている彼女が平静を失っているが故に心配だった。
「待って下さい、姉上!」
背を向けた彼女は瞬く間にその場からいなくなってしまった。
時を超えて #18
『さん!さん!起きて下さい!』
ゆさゆさと揺られて、は目を覚ました。
そろそろ寒くなって来た季節、ベッドを出るのが億劫だ。
『あ、起きましたね!魘されているから心配しましたよ。』
ゆっくりと身を起こす。
「う・・ん、ちょっと変な夢見ちゃった。」
心配そうな視線を振り切ってはベッドから出た。
その後ろをそろそろと佐為がくっついてくる。
しかし、クローゼットを開けた辺りで、着替えると気づいたのか、部屋を出て行こうと背を向けた。
『じゃぁ、着替えが終わったら教えて下さいね。』
「うん。」
ドアが開閉する音は勿論無いが、部屋から居なくなったのを確認して、は着替え始めた。
今日も塔矢の家で碁を打つことになっている。
(・・・そういえば、あの後も、佐為がすぐに屋敷に来て、私に付いていてくれたんだっけ)
先ほどの心配そうな佐為の顔と、昔の表情が被る。
ブラウスのボタンを閉めながら思い出すと、夢の続きが脳裏で再現されるようだった。
(あの時、なんで気づかなかったんだろう。)
後悔はいくらでも出て来る。
(何日か兄上は床に臥せっていて、私は風邪だと思い込んで・・いや、違う。)
はぁ、と溜め息をついてうつむいた。
(慢心してたんだ。まさか、私がいる家に呪いをかけるような奴は居ないだろうって。)
もう一度、自分を落ち着かせるように息を吐き出して、最後のボタンを閉めた。
きっと佐為は待ちくたびれているだろう。
はその上にワンピースを手早く着て、ドアを開けた。
気持ちを切り替えようとしても、陰鬱とした気持ちは全く晴れる事は無い。
こんな日に限って、休日はいつも遅くまで寝ている兄は早く起きていて、の姿を認めると軽く手を挙げる。
「なんだ、また碁か?好きだな、お前も。」
「まぁね。」
こちらの目を見て来ないに、鉄男は眉を寄せた。
がこういう態度を取るのは珍しい。
「おい、どっか悪ぃのか?」
「・・ううん、ちょっと眠いだけ。」
伸ばした手をやんわりと払うと、鉄男は益々眉間に深い皺を刻んだ。
は昔から辺に達観した子供で、喧嘩をしたことなんて一度も無い(ちょっとした言い争い位はあるが)。しかし、鉄男は一度だけ、がこれと似たような態度になった時の事を覚えていた。
「・・・また変な夢でも見たのか?」
随分前、辺に自分を避けるに問いつめた時のこと、彼女は珍しく泣きながら、嫌な夢を見るのだと言っていた。
「・・・そんなんじゃないよ。時間無いからもう行くね。」
避けるように出て来たに佐為は首を傾げた。
「さん、何かあったんですか?」
いつもの碁を打つ部屋。
が触ったものなら触れる佐為は、もう自分の手で碁を打っている。
慣れかどうかは知らないが、佐為を実体化させ続けていても疲れも余り無い。
『あぁ・・・今日はちょっと夢見が悪かったようで・・・。』
アキラの問いに答えたのは佐為で、彼は言い辛そうに言いながらもちらりとを見た。
「あぁ?あいつがそんな夢くらいで気落ちするような奴か?」
ひそひそと一応声を潜めて話してはいるが、如何せん佐為の手の届く範囲にいるには筒抜けだ。
(そんなに、顔に出てるのかな・・・)
いつも通りにしているつもりだったのに、アキラはともかく、ヒカルにまで言われては益々落ち込んだ。
『ヒカル、失礼ですよ!さんはああ見えて繊細に出来ていてですね、』
「そうだぞ。意外に気遣いも・・。」
(この人たち、本人が目の前にいるって分かってるんだろうか・・・。)
とは言っても、気を遣われているというのは自覚している。
これ以上続く前に、そろそろ何かしらコメントしておくべきかと口を開いた。
「3人とも、さっきから聞こえてるから。」
そう言うと、3人はぴたりと動きを止めた。
「・・・ちょっと眠いだけ。気にしないで。」
3人の視線を一気に受けて、何と言おうか一瞬考えた結果、出て来たのは下手な誤摩化しで、自分でも呆れる。
しかし、言ったら本当に眠くなって来た。
(いっそのこと、寝ちゃおうかな)
は壁に背を預けて目を瞑った。
目を瞑ると、夢の続き。
とは言っても時間軸が違う。兄が死去する数年前の光景だ。
「殿」
は声をかけられて振り返った。
その顔は険しい。
「何」
その手はいつでも抜刀できるように刀の柄に置かれている。
「今回は殿が出る程のことでは無かったかもしれませんね。」
言われて、は頷いた。
「でも、別に良いよ。さっさと終わらせて帰ろう。」
そうして、背を向けて足を進める。
此処の所、働き詰めだ。いいかげん、ゆっくりしたい。
「更に雨にも降られそうですよ。」
反対に、男は暢気に空を見上げていやだいやだと呟く。
相変わらずのんびりした男だ。
「・・・原因は大体予想が付く。半刻もかからないよ、多分。」
は忌々しそうに空をちらりと見た後、そう言いながら更に奥へと進む。
「あの倉ですか?」
「うん。」
頷いた時、黒い鳥の影に、は足を止めて再び空を見上げた。
彼女の式だ。
「・・・・」
影はの影にするりと溶け込むと、の頭の中にそれが持って来た情報が伝わる。
男は、それが終わるのを待ちながら彼女の影を見た。相変わらず、見事なものだ。
「・・・ねぇ、あと、任せても良い?」
すぐに、彼女の顔色は変わった。
「はい?え、えぇ、別に構いませんよ。」
「ありがと。」
はすぐに背を向けて駆出そうとするが、その背に思わず声をかける。
「何かあったんですか?」
振り向いた彼女の表情は何と言えば良いのか、まさに、取り残された子供ようだった。
「兄上が、斬られた。すぐ戻らないと。」
そう言いながらは他の式が連れて来た馬に飛び乗って駆出した。
『さん?』
揺れるからだに、ははっと目を覚ました。
目覚めが悪過ぎる。
『そろそろ休憩しようと・・・大丈夫ですか?』
そう言いながら、佐為は額に汗で張り付いた髪をよけてやった。
その手をは掴む。
「佐為・・・!兄上は?命に別状は?」
掴まれた手に、佐為は唖然としている。
「視察中に斬られたと聞いて・・・」
ぼんやりとする頭を横に振って、起き上がるに、佐為はそれを制した。
『さん?』
その呼びかけに、ようやく視界にアキラとヒカルが入って来た。
は、と息が詰まる。
「・・・ごめん、寝ぼけてた。」
夢と現実を混同させるなんて、どうかしている。
くしゃりと前髪をかきあげた。汗で張り付いて気持ち悪い。
「お水、飲みますか?」
そう言って手渡されたミネラルウォーターのペットボトル。
キャップの外されてあるそれを礼を言いながら口に運んだ。
冷たい水が喉から内蔵に行き届くのを感じてすっと気持ちが落ち着いて行くのを感じる。
そうして、軽く目を瞑って最後の一口を流し込むと、目を開いた。
「で、休憩だっけ?ちょっとお腹すいたかも。」
その頃には何時も通りの彼女で、アキラとヒカルはほっと胸を撫で下ろした。
悪夢(1)