朝、はぱちりという石の音で目を覚ました。
目の端に映るのは部屋にある小さなローテーブルに置かれている碁盤に向かう佐為の姿。
ぴしりと正された姿勢は何時も通りだが、今日はいつにも増して、それが整って見える。


(そんなに凄いんだ。アキラさんのお父さん。)


こんなに鬼気迫った様子の彼を見るのはとてつもなく久しぶりだ。
時計を見ると8:57。約束の時間は10:30だから、そろそろ準備を始めなければいけない。


「おはよ、佐為。」


しかしながら、まったく、いつからそこに座っているのだろうか。
の声には呆れが混じっていた。









時を超えて #13











初夏の陽気に、少しだけ汗ばむ。
加えてさんさんと照る太陽に、はちろりと太陽を睨みつけた。


さん、太陽に怒っても仕方無いですよ』
「だって、今日こんなに暑いのって、絶対あいつのせいじゃん。」


思わず口をついて出た言葉に、しまった、とは口を押さえた。
こんな独り言を聞かれてしまったら完全に危ない人だ。
周りに人がいないのを確認してほっと胸を撫で下ろした。


『さぁ、早く行きましょう!』


そんなをよそに、佐為は既に塔矢家の門の前に立っていた。


(はいはい)


は苦笑しながら足を進めた。
相変わらず立派な出で立ちをしている門の横についているインターフォンを押すと、明子の明るい声が聞こえて来て、は2、3言交わして、門の中に足を踏み入れた。


「いらっしゃい、さん。」


それと同時に玄関のドアが開いて顔を出したのはアキラで、彼はそのまま外に出て来た。


「?」


どうしたのだろうか、と足を止めると、アキラがの元へ駆け寄る。


「実は、父にまだちゃんと話せていなくて・・・」
「あー、まぁ、話し難い内容だしね。」


言い辛そうに言うアキラに、は苦笑しながら頬を掻いた。
佐為について、何と説明すれば良いのか。
言葉だけで説明するのは厳しいだろう。


「取りあえず、佐為は朝から打つ気満々だし、話しは打ってからが良いんだけど・・・。」
「あぁ、はい。父には是非対局して欲しい人がいると話してあるので、行きましょう。」


促されて、玄関に入ると、其処には明子が居て、二人を笑顔で出迎えた。


「アキラさんが行洋さんに是非対局して欲しい人がいるって言うものだから、どなたかと思えば、ちゃんだったのね。」


そう言いながら、スリッパを出してくれるので、礼を言いながらそれに履き替えた。


ちゃんって囲碁が強いのね。アキラさんがあんなに力説している所を見るなんて、なかなか・・・」
「母さん!」


少し顔を赤くしたアキラに窘められて、明子はくすくすと笑いながら口を押さえた。


「終わったらお茶をお出しするから、教えて頂戴ね、アキラさん。」
「はい、分かりました。」


そうして、促されて向かうのは、たまにアキラと対局する部屋。
後ろに立つ佐為が気を張りつめ始めたのを感じた。


「父さん。」


ドアを開けると、行洋は着物に身を包んで座布団の上に座していた。
アキラが声をかけると、行洋はゆっくりと目を開けて視線をあげた。
その行き先はアキラから、次、その後ろにいるに。


「彼女が?」
「はい、是非、対局して下さい。」


視線が合うと、は頭を下げた。


「加賀です。」
「あぁ、君が・・・。明子から話しは聞いている。アキラの囲碁仲間だそうだね。」


目で座るように促されて、は行洋の目の前の座布団に座った。
明子からどんな話しを聞いているのか、少し気になったが、口を挟む隙は無さそうだ。


、感謝します。』


横に座る佐為が囁く。


「宜しくお願いします。」


は再び頭を下げた。


















最初、置き石をという行洋の言葉を断って互戦を望むと、彼は別段顔色は変えずに、そうか、とだけ告げた。
そうして始まった対局は、僅差で佐為の勝利に終わった。
ほぼ囲碁の分からないだが、最初は普通だった空気がどんどんと鋭くなっていくのを感じて、手が少し固くなってしまった。


(終わった・・・んだよね。)


ありません、と言ったっきり碁盤を見つめて黙り込んでしまった行洋に、は佐為を見るが、彼も碁盤を見下ろしたっきりだ。


「君は、saiに似ているな。」


痛いほどの沈黙に、どうしたものかとアキラに助けを求めようとしたとき、漸く行洋が口を開いた。
行洋の言葉に、は右上、つまり佐為をちらりと見た。
きっと、行洋は佐為のことについて言いふらす類いの人間ではない。
ここまで待ち望んだ対戦相手。直接話しをしたいに違いない。


少し、考えた後、口を開いたは佐為の手を掴んだ。


さん?』


空を掴む動作に、目の前の行洋と背後のアキラ。そして手を掴まれた佐為の驚く様子が見て取れる。


「似ているんじゃなくて、打ってるのは佐為ですから。」


そうして、はぐっと手を握りしめた。


「行洋さん、この人が、貴方と対局した佐為ですよ。」


何度かアキラに見せていて要領は掴んでいる。
目の前の行洋は、アキラの時と同様、突然浮かび上がって来た佐為の姿に、目を見開いた。












それが1時間程前。

はこんなこともあろうかと、持って来た小説を黙々と読み、佐為は彼女の袖を右手で掴みながら嬉しそうに行洋とアキラと言葉を交わしている。


(私じゃ碁の話しは分からないし、行洋さんとアキラさんが理解のある人たちで良かった。)


ちらりと眺めると、3人は熱の篭った様子で話し込んでいる。
残念ながら端々に聞こえて来る言葉はには理解出来そうに無い。


(ねむ・・・)


くぁ、と欠伸をすると、佐為がそれに気づいての方へ向き直った。


さん、大丈夫ですか?』
「え?あぁ、別に平気。今良いところだから、もうちょっと待ってもらえると嬉しいんだけど。」


小説を指しながら言うと、佐為はうるっと瞳を潤ませた。


「げ、ストップ、佐為」


本当は小説は結構どうでも良い。
もう少し佐為にこの時間をあげたかった。
それが伝わってしまったのだろうか。


さーん!!!』


逃げようにも、この至近距離では難しく、佐為からの突進を受けたはそのまま倒れて頭をしたたかに打ち付けた。


さん!」


アキラが慌てて立ち上がった。


『はっ!ごめんなさい!私ったら、また・・・!!』


2人に起こされては溜め息をついた。
視線の先には申し訳無さそうに頭を下げる佐為の姿が有る。


「ほんとーに、落ち着きが無いんだから。」


そのやり取りに行洋とアキラは微かに笑った。











対面