時を超えて #1



ひぃさま。
後ろから追いかけてくる数名の女性に、少女はため息をついた。
速度はそのままに、印を結んだ指を廊下に付けて、角を曲がった先の部屋へ転がり込む。

母が蝶よ花よと育てたいのは分かっているが生憎と己にそれは向いていない。
逃げるのが吉だと言わんばかりに、少女は武芸以外の稽古は決まって逃亡する。

己の足音を模倣した音が遠ざかる音と、それを追う女房の足音に、ほっと息を吐き出した。


「・・・相変わらずですね。さん。」
「相変わらず落ち着きが無ぇだろ?」


ぱちん、と石を打つ音。
少女は名を呼ばれて、ようやく振り返った。
飛び込んだ先にこの二人がいるであろうことは何となく分かってはいたが、また、碁を打っているとは。


「だって、花や書き取りは余り好きでは無いもの。それよりも・・・」
「爺に陰陽道の稽古をつけてもらうか、兄上に剣術の稽古を着けてもらう方が良い、か?」


相変わらずぱちんと言う、石を打つ音は消えない。
は兄のからかうような言葉にむっと眉を寄せて、座布団に座った。
二人が対局している碁盤を前に、頬杖を着く。


「・・・兄上はまた負け?」
「お前に言われたくはねぇな。」


嫌な手を打ちやがって、と兄は目の前の対戦相手をちらりと睨みながら言う。
相手はというと、扇子で口元を隠しているものの、隠しきれない微笑みが見て取れる。


さんにもまた稽古を着けましょうか?」
「いや、良いよ。」


その視線が自分に向いたかと思うと、稽古の申し出が出て来て、はぶんぶんと首を横に振った。隣からはくつくつと面白そうに笑う兄の低い笑い声。


「向いてないもの。私。」
「確かに。お前はそれより武芸だな。」
「笛の腕はすばらしいものだという話は聞いていますが?」


兄は再びぱちんと石を打った。


「かろうじて笛だけだな。」
「・・・・とにかく碁は良いよ。兄上と佐為の打ち合いを見ているだけで十分。」


そう言う少女に兄は馬鹿にしたように笑い、佐為は微笑んだ。
































は、朝、いつも通り目をさました。
高校に入学して1ヶ月と少し。
ようやく慣れ始めた頃の、土曜の朝だ。


(・・・あれ?)


ぼんやりと目を覚まして、頭に浮かんだのは疑問ばかり。
夢の続きだろうか、という錯覚まで起きる。

目の前には黒く長い髪に烏帽子に見覚えのある整った顔つき。
しかしながら彼の背景はこれまた見覚えのある壁で、耳に入るのは聞き覚えのある着信音。現代であることを教えてくれる。


「・・・佐為!?」


慌てて起き上がって叫ぶと、彼も気がついたようで、はっと起き上がった。


『わ、私は一体・・・』


彼も同様に混乱しているのか、おろおろと辺りを見回したり、を見たりと忙しい。


「ほ、本物!?・・ていうか幽霊よね。え、幽霊になってたの、佐為。」
『私を知っているのですか?』


そう言って、佐為はを凝視した。
無理も無い、昔と今とでは、時代が違うため、服装も髪型も顔つきも違う。
しかしながら、としてはかつての兄のような存在にそんなことを言われて(しかも、今朝の夢で昔の夢を見ていたのもあって)、ぷちりと糸が切れるのが分かった。


「私が分からないってどういうこと?」


思わず佐為の両頬を引っ張ると、その行為に佐為は目を見開いた。若干痛い。
はというと、反対にびっくりしている佐為に首を傾げる。


「・・あぁ、ほら、私の前世って陰陽術師でしょ?そのせいか知らないけど、ちょっとしたことなら出来ちゃうんだよね。」


ぱっと手を離すと、佐為は頬を撫でながら涙目でを見た。


「流石に幽霊を成仏させるとか、そういうことは出来ないけど、喋ったり触ったりするくらいなら出来るの。」


すごいでしょ、と笑う彼女に、佐為はまさか、と思う。


「それにしても、幽霊になって何してたの?まぁ、相変わらず碁を打ってたんだろうけど・・・」

昔、自分が生きていた時代の親友の妹の顔が重なる。


『ま、まさか・・・』
「やっと気づいた?」


ふふ、と笑って、彼女は佐為を見た。


さん・・・』
「ま、取りあえず着替えるから出てって?」


まさかの再会に、感極まる佐為だが、それを見事台無しにしてくれたのは矢張り目の前の彼女だった。


『え?』


戸惑う佐為をむんずと掴んで、部屋の外に放り出されたと思ったら、ばたんと閉められたドア。
追い出された佐為はぽつりとの部屋の前で立ち尽くしていた。


(まさか、さんが転生していて、そこに辿り着くなんて・・・)


何の因果か。
絶対、昇天したと思っていたのに、何故か生前妹のように思っていた少女の所にいる。
よく分からない事態だった。


(神は、私の我が侭を聞いて下さっているというのか・・・)


思ったのは、まだまだ、この世で打ちたいという強い気持ち。

また打つことが出来るのだろうか、と己を手を見つめた。

ヒカルが強くなって、プロになった頃。
どんどん他のプロと対戦して行くのを嬉しい気持ちと羨ましい気持ちで見つめていた。
自分も対戦したい。自分が打ちたい。
何度も思ったことはある。


(・・・さんは、私に打たせてくれるのでしょうか・・・)


その時、物音がした隣の部屋にそちらへ視線を向けた。


『か・・加賀?』


佐為は隣の部屋が開いたと思ったら出て来た人物に目を見開いた。
ヒカルの中学時代に出会った、囲碁がやたらと強い将棋部の青年。
最後に見た時より、幾分成長している彼は欠伸をしながらばたんと部屋のドアを閉めた。


『何故あなたがここに?・・あぁ、そこはさんの部屋ですよ!』


向こうは聞こえていない思いつつも、声をかけるが、加賀はの部屋のドアノブに手をかける。
それに気づいて佐為は慌てて止めた。


『あぁ!さんはまだ着替え中で・・・』
「おーい、。あの本貸して・・」


佐為が止めるのもむなしく、ドアを開けた加賀は数秒後、飛んで来た本を顔に受けて撃沈していた。
昔、本当に昔に見たことがある気がする光景だと、佐為は目をぱちぱちさせた後、扇子で口元を隠しながらくすくすと笑った。


「・・・ノックもしないで入って来ないでって言ってるじゃん。」


出て来たのはニットにジーンズを履いたの姿。


「お・・おま・・・!」
「数秒前だったら着替え中だったのよ。ほんと、デリカシーが無いっていうか何て言うか・・・。」


呆れたように言って、は部屋に引っ込んだ。
その時、目で目配せされるので、佐為も部屋へ入る。


「てめー、覚えとけよ!」


ドアの外からそんな声が聞こえて来て、隣の部屋へ入って行く音がした。


『・・・あれは・・・』
「兄よ。また口が悪い兄。」


変な因果よねぇ、と笑って、は佐為を見た。
その目は説明を求めていて、佐為は息を吐いて、今までのことを話し始めた。