モク=レーンは、目の前のその人を見て、時間が止まったように固まった。
見開かれた眼と少し開いたままの口からは彼女の驚きが見て取れる。


「久しぶりね。」


当たり障りの無い言葉を選んで、そう、声をかけると、彼女はダムが決壊したかのように涙を流し始め、そのままナギに向かって駆け出した。


「姉さま!本当に!?」


ぎゅ、としがみつくその身体を受け止めて、ナギは少しうろたえながらも頷く。
優しげに見守る最長老と、視線が合った。


「どうして、キチェが」


嗚咽交じりに問われてナギはどう説明したものか、と悩む。


「・・・気がついたらあったのよ。」


間抜けな答えになってしまったが、他に言いようが無い。
それでも、モク=レーンは、顔を上げて満面の笑みを浮かべた。
泣きながら笑うなど、わが妹ながら、器用なことをする。


「また会えて嬉しいわ!」


可愛い可愛い妹。
ちりちりと痛む胸を抱えながらも、ナギは何とか彼女に笑いかけた。










Diva 過去編 #4












モク=レーンは、傍目に見ても浮き足立って見えた。
あの姉が、キチェスとなって傍にいるのだ。

姉が、母の死後行方をくらましたということを聞いた時はもう、会う事はできないのだろうと諦めていたが、彼女はその額にキチェを掲げて楽園へとやってきたのだ。


「嬉しそうね。モク=レーン。」
「えぇ!姉さまに会えたのよ!!今度、一緒に歌を歌うの。それも、謝肉祭でよ!あぁ、明日も会えるかしら。出来ることなら、毎日会いたいわ!」


嬉しそうにモク=レーンは飛び跳ねた。
それに、モードは困ったように笑う。モードも、少し前にナギがこの楽園にいることは知らされていた。
同時に、その特異な経歴と力についても。
そして、既に、キチェスとしての教育をほぼマスターした彼女は外部の大学にも通い始める上に、政府も彼女の力を借りようとしている為、余り楽園にいる時間が無いということも。


「残念ね。モク=レーン。彼女は明日は居ないわ。」
「えぇ!」


上機嫌で歌を口ずさんでいたモク=レーンは驚いてモードを振り返った。


「大学が明日から始まるから、暫くはここに戻らないと聞いているわ。」
「そんな・・・。」


大学に通うキチェスは珍しくない。だが、どのキチェスも楽園から大学に通うのに、彼女はそれを突っぱねた。
その代わり、土日は楽園へ戻り、キチェスの教育をみっちり受けるらしいが。


「姉さま、そんなことはちっとも教えてくれなかったわ・・・。」
「余りにも久しぶりに会ったから、嬉しくて、そんな話はどっか行っちゃったのね。きっと。」


慰めるようにモードは言う。目の前のモク=レーンを見ていると、とても、ナギはモク=レーンを避けているとは言えない。
可能な限り、モク=レーンをヤ=ナギに接触させないこと。これは、モードに内密に寄せられた依頼だ。
議会自体が、キチェスとして優秀なレーンに、能力はあるものの異様な経歴を持つナギを会わせたくないという思いを持っているのもあるが、それにナギは快諾したというのだから、それをモードが聞いた時は驚いた。


「そう、ね。早く帰って来ないかしら。」


モオク=レーンは嬉しそうにナギとの思い出を話し始めた。





















前髪を下ろすのは癖だが、外で変に目立たない為には中々良い。
とは言っても、近くで話すとすぐにばれてしまう為、ナギは余り人に寄り付かなかった。
いつでも、一定の距離を保ち続ける。


「ヤ=ナギさん、ですよね。」


声をかけられて、ホワイトボードの文字をノートに写していナギは顔を上げた。
のんびりとやっていたせいか、それとも時々考え事をしながらしていたせいか、もう教室には人がまばらにしかいない。


「はい。どうかしましたか、教授。」


ペンを置いて、まっすぐと彼を見上げた。
30代くらいの彼は教授の中では若い方だ。


「いえ、私のゼミに入る子が、どのような子か、少し話をしてみたくて。」
「あぁ、成るほど。リム・リアン評議会から何か言われましたか。」


全く、彼らは厄介だ。ここまで介入しなくても良いものを。


「それもあるけれど、キチェスに会えるなんて中々無いからね。」


其の言葉に、ナギは肩を竦めた。


「私は、一般的なキチェスとはちょっと毛色が違いますから、ご期待に添えるかどうか。」


キチェスとして、外に出るのは、この、大学に通うということが初めてだ。
周りがキチェスに対してどういう反応をするのか、少しだけ気になってはいたが、まさかこんなに早くコンタクトを取りに来るとは思わなかった。
それ以前に、自分がキチェスだと知って、近づいてくる人は、何を求めているのかさっぱり分からない。
物珍しさか、それとも、知り合いにキチェスがいるという優越感がほしいのか。


「さて、と。次の講義に遅れてしまいますから、私は失礼しますね。」


どっちにしろ、自分は浅い付き合いしかする気は無い。
荷物を纏めると、頭を下げてその場を後にした。


廊下に出ると、いくつかの視線を感じる。
大学に入ってまだ3日しか経っていないというのに、ナギがキチェスであるということはもう知れ渡っているらしい。


(面倒くさい・・)


好奇の目に晒されて嬉しい訳が無い。ナギは講義室に向かう足を速めた。





人の噂とは、広がるのが速いもので、5日目には既にナギがキチェスであるということをほとんどの人が知っていた。
声をかけられる回数も多くなり、ナギの機嫌も急降下していく。

あの楽園に、キチェスであるということにうんざりして、大学に逃げ込んだというのに、と。


「ヤ=ナギさんですよね。」
「はい、そうですが、何、か・・・」


またか、と振り返った時、ナギは目を見開いた。そこには見知った顔があったのだから。


「やっぱりアンタか。」


急に口調が変わった相手。背が随分と高くなっている。
それでも、その鋭い目と浅黒い肌の色ですぐに分かった。


「・・・シ=オン」


少し考えてみれば不思議なことではない。
彼はよく頭の回る子だった。大学に来ていたとしても、不思議な事は無い。

何か言葉をかけようと口を開きかけたが、周りの好奇の視線が気になった。


「場所を変えるわよ。」


そう小さく呟いて、ナギは歩き出した。






















大学から少し離れた場所にあるカフェ。
少し寂れたようなカフェではあるが、人が少ないのが良い。


「まさか、再会するとは思わなかったわ。」
「・・・あぁ。」


昔と同様、口数が少ない。


「で、わざわざ私を探しに来たんでしょ。何か話があるんじゃないの?」


シ=オンは困ったように視線を彷徨わせた。
それに、まさか、とナギは苦く笑う。


「まさか、私と同姓同名の、しかもキチェスの女が大学にいるって聞いて、そのまま私かどうか確認しにきたって訳じゃないわよね。」


図星なのだろう。こう言う時に分かりやすい表情をするのも変わっていない。


「・・・まぁ、良いけど。冷える前に飲んだら?」


視線でシ=オンの目の前にあるコーヒーを示すと、彼はようやく目の前のコーヒーに気付いて手を伸ばした。
同様に、ナギもカフェラテに手を伸ばす。じんわりとカップの暖かさが手に伝わる。


「あれから、どうしてたんだ。」


視線はナギの額に向いている。孤児院に居たときは決して外さなかった包帯。
それを外しているということは、彼女はキチェスとして生きているのだろう。


「・・・・旅をしていたわ。その後、働きながら通信制の高校に入ったんだけど、健康診断でコレがばれちゃってね。」


成るほど、とシ=オンは頷いた。


「3年間は大人しく楽園にいたんだけど、どうも、私には楽園が合わなくて。無理を言って大学に行く間は外に出させて貰ってるって訳よ。」
「・・・アンタらしいな。」


彼女は、サージャリムを憎んでいた。その使者であるキチェスとして生きるのはどの様な感じなのか。
流石のシ=オンもそれが不躾な質問だとは分かっていたが、思った時には口に出していた様だ。


「・・・・」


沈黙が落ちる。シ=オンは気まずそうにコーヒーを飲んだ。


「サージャリムを讃える歌も、歴史も、下らないとは思っているわ。でも、最近は政府に対する不満の方が強い。何故、彼らはこのサージャリム信仰が蔓延る世界で、私達を使って戦争を終わらせないのかってね。統治出来ないような無能な人たちがいる政府なんて無いのと同じよ。そのくせ・・・」


そのくせ、自分の予知能力は利用しようとするのに。と続けようとして、やめた。
この力については吹聴して回る気等無いのだから。


「何だ?」
「・・・何でも無いわ。」


ため息を付いて、カフェラテを飲んだ。
少しだけ気持ちが落ち着く。


「まぁ、私と貴方は幼馴染みたいなものだし、縁があれば仲良くしましょ。」


そう言って、立ち上がろうとするナギをシ=オンは慌てて止めた。
ナギは驚いたようにシ=オンを見下ろす。


「まだ、少し、話をしないか。」


それに、少し止まった後、微かに笑って頷いた。








旧友



2013.5.31 執筆

※シ=オンがナギに抱いているのは、古い馴染みに対する懐かしさ、親しみだけで、恋には発展しません。