ナギは孤児院を去った後、今までと同様にふらふらと旅を始めた。
それでも、1年に一回は家に戻り、家を掃除するのは欠かさなかった。
額に、人には見せられないような傷があると偽りながら働き、通信制の高校入れたのは奇跡に近い。
それも、1年目の健康診断の際に終わってしまうのだが。


勿論、健康診断で額の布をつけたままにと言うナギの願いは叶わなかった。
念のため、傷を調べると医師が言って聞かなかったのだ。

孤児院では身元を証明するものを出していなかった為バレたところで問題は無かったが、高校に入るにいたっては正式な身分証明書を出している。
ここで逃げたとしても、逃げ切れる自信が無かったナギは大人しく楽園へと向かった。


「これはまた、珍しい子が来たもんだねぇ・・・。」


後天性のキチェスである上に、今まで身を隠して生きてきた為、個別に最長老の下へ連れてこられたナギは面倒くさそうに最長老を見た。


「私も楽園に来る事になるとは思いませんでしたよ。最長老殿。」
「お前は、此処では生きる意味を見出せない。でも、それを見出せる日は必ず来るよ。」


それをナギは鼻で笑った。


「そうかしら。此処にいる限り、無理だと思いますけど。」
「此処では、ね。」


含みのある言い方に、ナギは疑うような目で最長老を見た。


「さて、今までキチェスの教育を全く受けていなかったから、これから大変だろうて。今日はゆっくり休みなさい。」


ナギは文句を言いたい顔をしていたが、大人しく椅子から立ち上がり、部屋を出た。











Diva 過去編 #3













それからの生活は目まぐるしく過ぎていった。
まずは服を剥ぎ取られ、朝から晩まで聖歌(キサナド)を覚えさせられる毎日。
それに加え、一般教養についても学ぶのだから、時間がいくらあっても終わらない。


「疲れましたか?」


世話役に付けられたのは、アイリーンという女性だった。


「えぇ、疲れましたとも。」


アイリーンはくすくすと笑う。
口ではナギは悪態をついてばかりだが、彼女は驚異的な速さでキチェスとしての教養を身に付けていっている。


「まぁ、所構わず歌えるのは良いわね。生活にも困らないし。」
「そんなことを言うキチェスは貴方くらいですよ。」


ナギは肩を竦めた。
外の生活が長かった為、他のキチェスに悪影響を及ぼす可能性があると判断されたナギは、他のキチェスとすれ違うことはあってこそ、交流は全く無い。
逆に、それは彼女にとって好都合だった。今更、妹に会ったとしてもどのような顔をすれば良いか分からない。


「そうでしょうよ。私は外の生活が長かったから。」


あぁ、そうだ。とナギは続ける。


「アイリーン。暫く海とか湖とかに近づかない方が良いわよ。まぁ、行っても死にはしないけど。」
「まぁ、予知夢ですか?」


このような能力を持つキチェスは稀だ。
予知の力を持つ者はほかに最長老くらいしか居ない。


「本当に、この力は気まぐれよ。私が高校の健康診断でキチェスとばれる時は教えてくれなかったのに。」


肝心なときに使えないんだから、と悪態をつくと、アイリーンは再び笑った。


「あぁ、そういえば、明日、最長老様がお会いしたいと仰ってましたよ。」


それに、ナギは嫌そうに眉を寄せた。


「そんな嫌な顔しないでください。」
「だって、碌な話じゃ無いわ。きっと。」


ナギはソファに腰掛けてテレビをつけた。
大母星を巡る争いは未だに続いている。


「・・・政府は、何をしてるのかしらね・・・。」


何故、政府はこの争いを治められないでいるのか、ナギには理解できない。
大昔、この星の内部で紛争は絶えなかった。その紛争が収束した後、纏め上げる存在となったのが政府だ。
大母星に皆が住んでいた頃、いや、大母星が人が住めるほどに回復するまでは、こんな争いは無かったというのに、何故陣取り合戦が始まってしまったのか。


「私達のほとんどがサージャリムの信者であることを考えると、キチェスを上手く使えばこの争いは無くせる可能性はあると思うんだけど、アイリーンはどう思う?」
「どう思うと言われましても、私達は政治的な介入を放棄していますから、答えようがありませんよ。」


戦火の中で今も孤児院にいたような子供達が生まれている。
それを彼女は知らないのだろう。


(だから、楽園は嫌)


皆が安穏と暮らしている。
此処は、箱庭のようなものなのだ。



















ナギは憂鬱な気分で最長老に会う為の服を着ていた。
唯でさえ、最長老に会うというだけで気分が悪いのに、今日見た夢は、最長老の元で妹と再会するものだったのだ。


(今更会って、何を話せと)


妹の噂は少し耳にしていた。
文句無しに優秀なキチェスとして成長している、と。


「準備は出来ましたか?」


アイリーンの声がかかり、ナギは最後のボタンを留めて振り返った。


「えぇ。」


嫌そうな表情が目に付いたのだろう、アイリーンは苦笑している。


「さっさと行って、さっさと戻るわ。」
「えぇ、そうしてください。」


最長老の部屋に入ると、そこには最長老しか居なかった。


「・・・?」


当たりを一応見回すが、やはり人は居ない。
その様子を見ていた最長老はくつくつと笑いながらナギに声をかけた。


「お前の妹は居ないよ。」
「でも、いずれ再会させるつもりでしょう?」
「おや、夢でも見たかい?」


頷いてみせると、最長老は笑った。


「今日は別の話さ。政府がお前を欲しがって居てね。」
「・・・あぁ、この力が欲しいってこと?」
「そういうことさね。」
「馬鹿馬鹿しい。あんな能無しの政府の力になる気は無い。」


また、最長老は面白そうに笑う。


「と思って断っておいたよ。」
「・・・話ってそれだけ?」


そんな事なら、アイリーンにでも伝えてくれれば良いのに、と思うが彼女は自分の状態を直接確認したかったのだろう。


「随分と頑張ってるみたいだね。話は聞いてるよ。」


最長老はティーカップを手に取った。


「次の謝肉祭では、モク=レーンとお前の2人で歌って貰おうと思っておる。」
「冗談は程ほどにしてもらえます?」
「冗談じゃ無いよ。その前に一度顔合わせをしようと思っていてね。来週になるだろう。」


予想以上に早い、いや、ここに来て2年が経ったことを考えると遅いと言えるのだろう。


「・・・分かりました。」


渋々と言った様子で承諾するナギを最長老は暖かいまなざしで見た。
その視線を知っていながらも、ナギの心中は穏やかではない。

一身に父母の愛情を受けて育った妹。
一緒に暮らしている頃は、確かに可愛がってはいたが、父が死に、彼女が楽園へ行き、母と2人であの家に取り残された後は、少しずつそれは何とも言えない感情へと変わって行った。
憎んでなどは居ない。無関心という訳でもない。


(・・・あの子に会うと、思い出すから、嫌なのかもしれない。)


何だかんだ言って、父がこの世を去るまでは、それなりに幸せな家だったのだ。


(思い出すと、欲しくなる。)


ナギは目を閉じた。
1人で生きる事は、難しい。その代わり、自由だ。

あの日から、ナギは家庭など作らず、1人で生きていくと決めていた。
子どもが出来て、もしキチェスだったらどうする。両親のようにひっそり逃げながら暮らすのか。
そんなことは考えたくなかった。


それでも、思い出とは厄介なもので、家族で過ごした時間は年とともに美化され続けている。


(家族なんて、いらない。)


今まで何度も呟いた言葉。
それをもう一度心の中で呟いて、ナギは最長老の部屋を後にした。







箱庭の中の楽園



2013.5.21 執筆