何て馬鹿なことを言ってしまったんだろう。
「見てみたいな」
皆優しいから、そう言ったら応えようとするって分かってたのに。
全然考えが及ばなかった。
(じゃぁ、見せてあげるよ)
(見て、見て)
(すごく綺麗だから)
自分の何気ない一言で、一気に桜の木が反応する。
嘘、と言った時にはもう遅かった。
とんでもない失態を自分は犯してしまったのだ。
(ね、綺麗でしょう?)
あぁ、本当に綺麗。
きらきらと桜の花びらが光を受ける中、桜の大合唱が聞こえる。
その中に、金髪の女性が佇んでいるように見えて、目を細めた。
あぁ、桜って、本当に綺麗。
答える筈が無いのに、彼女が、頷いた気がした。
そんなこと、ある筈無いのに。
Diva #5
女は、長いウェーブがかった髪の毛の水気をタオルで拭き取りながらテレビのスイッチを入れた。
ぷし、とビール缶のプルタブを開けて、ぐいっと喉に流し込む。
「くー!うまい!」
そして勢い良くテーブルに缶を置くと、少しビールの泡がテーブルにぱたぱたと落ちる。
「エヴァ、行儀が悪いですよ。」
銀髪の男は呆れた様に言って、テーブルをティッシュで拭き取った。
エヴァ、と呼ばれた女性は笑いながらビール缶を手に取る。
「ハルも飲む?」
「私は良いです。」
そっか、とエヴァはリモコンでチャンネルを変える。
その中で、見事な桜の花に、リモコンを操作する手を止めた。
『この雪の中、この見事な桜!天変地異の前触れでしょうか?』
リポーターの声が耳に響く。
エヴァは思わず手から滑り落ちそうになったビールを持ち直した。
「何これ!」
「・・桜、ですねぇ・・・」
「場所は・・グリーズ・・・が住んでる国の隣だわ!」
エヴァはテレビに向かって身を乗り出して、地名を確認すると、慌てて立ち上がった。
そしてリビングの窓を開いて外に出て行く。
「エヴァ!今夜は雪ですよ!」
ハルもソファに置いてあったブランケットを取って立ち上がった。
後を追うと、置いてあるサンダルを履く時間も勿体なかったのか、裸足で中庭にいるエヴァは空に向かって顔をあげ、目を瞑っている。
確かにハルとては心配だ。十中八九あの桜の原因はなのだから。
しかし、ハルとしては自分の保護対象であるエヴァ以上に大切なものは無い。
何にも換え難い半身。これが原因でエヴァに被害が及ぶかと思うと、に説教をしてやりたい気分になるというものだ。
「どうですか?」
ブランケットを肩からかけてやりながら尋ねると、エヴァはぱちりと目を開いた。
「やっぱりだわ。そのまま倒れて、一緒にいた人が連れて行ったって言ってるけど・・・。」
泣きそうな顔でハルを見上げる。
「どうしよう、ハル。これであいつらがに気づいて動き始めるかもしれないわ。」
「そしてエヴァ、貴方にもその矛先が向くかもしれません。」
ハルはエヴァを持ち上げると、部屋の中へと運ぶ。
「ねぇ、ハル」
「駄目ですよ。」
間髪入れずに、断りながらハルはエヴァの足を拭く。
「もう、まだ何も言ってないじゃない!」
「エヴァが言いそうな事は分かります。」
エヴァは淡々と言うハルにむっと眉を寄せて、非難しようとしたがその直前で思いとどまって口を噤む。
彼は自分に甘い。
押せば行ける筈なのだ。
(よし)
思い切り目を瞑って、涙を溜める。
「ハル、お願い。が心配で私、死んじゃいそう。」
彼女の思惑通り、ハルは暫く葛藤した後、渋々頷いた。
一気に意識が浮上する。
ぱちりと開いた目にはホテルの天井が映った。
どうやら、ショックのあまり一時気を失ってしまったらしい。
「起きたか。」
横から聞こえて来た声に、もう一回眠ろうかと目を閉じたが、それを許してくれるクロロではない。
「寝るな。説明しろ。」
身体をゆすられて、渋々と身体を起こそうとしたが、若干気持ちが悪い。
「そのままで良いから質問に答えろ。」
一応、顔色が悪いのを見て、気は使ってくれているようだが、容赦はない。
困ったなぁ、とは溜め息をついた。
「あの桜はお前の力だな?」
断定する声に、いい訳も見つからなくて頷いた。
厄介な人にばれてしまったものだ。これがまだエドモンドだったら良かったものを。
「念じゃないな。どんな力だ?どういう条件で発動する?」
「念じゃない。」
と言って、まずかった、と慌てて口を手で押さえると頭上からクロロの溜め息が聞こえて来た。
「お前が念を使っていなかったのは分かっている。隠すな。」
そして、さぁ言えと迫られてはぐ、と唸った。
この威圧感は何だろうかと思いながらもしぶしぶ答える。
「・・・発動する条件は、歌ったり、声をかけたりすること、かな。あとは強く願ったりとか・・・良く分からない。そんなにちゃんと考えた事が無かった。」
これからどうしよう。きっとこの話しは大なり小なり広がる。
すると、あいつらも動き始める。
泣きそうだった。
「お前の他にも、同じような力を持った奴は」
「いない。私だけ。」
即答するその声に、クロロは嘘だな、と直感的に判断する。
「そうか。何人いる?」
「だから、いないって・・・」
その瞬間、クロロの目が変わって、は息を飲んだ。
数ヶ月一緒に過ごしているが、彼のこんな表情は見た事が無い。
底の見えない黒い瞳。間違えなく向けられているのは殺気だ。
「答えろ。」
きゅっとは口を結んで、目を閉じた。
「いない。」
「何故嘘をつく。」
「嘘はついてない。」
顔を背けて、布団に潜り込もうとするが、それをクロロの手が阻んだ。
「・・分かった。」
妥協する響きのそれに、ほっと胸を撫で下ろす。
「なら、他の質問に答えろ。」
彼が知的好奇心旺盛なのは知っている。
だからこそ、恐い。どこまで暴かれるのか、と。
「他にどんな力を持っている。」
は観念した様に再び溜め息をついた。
このままここにいる訳にはいかない。早く行かなければ。
いや、逃げる様に移動した方が目をつけられるのだろうか。
葛藤した末、迎えた朝。
は余り寝付けずに腫れた目を擦りながらベッドルームを出た。
隣のベッドルームの扉が開いていて目線を前に向けるとソファに座っているクロロが目に入った。
テレビがついているが、そこから聞こえて来るのはレポーターの信じられない、という大きな声。
見なくても分かる。きっとあの桜だ。
(エヴァに連絡しなきゃ)
そうは思うが、クロロがいる間は無理だ。
そもそも、彼はいつまで此処に居るつもりなのだろうか。
「起きたか。」
声をかけられて、何と言って良いか分からず、は微妙な表情で頷いた。
そもそも、クロロがあそこで桜がどうのこうのなんて言わなければこんなことにはならなかったのに、と八つ当たりをしてしまいそうになるのをぐっと堪えてコーヒーでも無いかと簡易キッチンへ向かった。
「今日はベンゼルに行くんだったな。」
昨日、から聞きたい事は粗方聞いたからか、彼の追求は無さそうだ。
しかし、昨日の今日でまさか本を見に行くと言われるとは思わなかった。
「車で1時間だからホテルはこのままで良いな。行くぞ。」
「え?ちょ、ちょっと今日はゆっくりしない?」
極力外には出たく無い。
額は念の皮膚で隠しているが、今自分の存在がばれた今、凝で見られてしまうと具合が悪い。
「・・・外に出るのが嫌なのか。理由は?」
「昨日の今日で疲れてるから。」
そう答えると、いつの間に手にしていたのか、クロロはのコートを彼女に投げた。
「運転している間に寝ていれば良い。行くぞ。」
は溜め息をついてコートを羽織った。
失態
2012/5/7 執筆