車がようやく止まったのは、深夜の事だった。
森の中にある廃墟は、最初に連れて行かれた場所とはまた異なる趣を持っているが、気味が悪いのに変わりは無い。
長時間座っていたせいか、固まった身体を少し動かして、車の外へ出ると、既にクロロさんは歩き出していて、慌てて後ろを追う。この人はもう少し回りに気を使うということを覚えたほうが良いと思う。
玄関であったであろう場所から中に入り、広間に入るとそこには2人の男の人がいた。
1人は覚えている。金髪の、シャルナークだ。
「!」
しかし、私の名前を呼んだのは別の声だった。
びっくりしてそちらを見ると、クロロさんも同様に驚いたような顔をしていた。
「レインだよ。覚えてる?」
「レ、イン・・・」
問われて、私は彼の名前を呟いた。知っているか知らないかで答えると、知っている。
彼は、守人の1人だったはずだ。でも、彼の額には痣が見当たらない。
「生きてたんだな、良かった・・・。」
抱きしめられて、彼の顔が見えない。私は困惑した表情を浮かべてクロロさんを見た。
だが、彼は、私を一瞥しただけで、ここから助け出してくれる事はしてくれなさそうだ。
「・・・どういうことだ?」
「なんと、レインはキチェスの里にいたらしいんだよ。もっとも、キチェスじゃないみたいだけどね。」
レイン、と思われる人はようやく私から少し身体を離したものの、まじまじと私の顔を見つめるのに忙しく、クロロさんの問いに返事をする様子が無い。それを見かねて、シャルさんが返事をした。
「さっきレインが来て、のことを話したら、そう言うもんだから、びっくりしたよ。」
ということは、他に生き残りがいる可能性もあるのだろうか。
それを尋ねようとした時、ようやくクロロさんが私からレインを引き剥がした。
Diva #21
その後、軽食を取りながらレインから話を聞くことになった一同は広間に腰掛けた。
シャルさんとレインが持ってきたのであろう、チーズと酒、あとはスナックをつまむ程度だ。
「俺は、キチェスの守人"だった"。」
「しかし、額に痣が無い。」
レインは念で額を覆っている訳でもない。
そのことをクロロさんが指摘すると、彼は少し言葉を詰まらせた。
「俺のキチェスは件の襲撃で命を落とし、俺の額からは証が消えた。」
「他に生き残りはいないの?」
「・・・俺は、あの襲撃の直後、急いで村に戻ったが・・・誰も、居なかった。」
期待はしないよう、努めたつもりだったが、やはりその言葉に私は気落ちした。
「・・・レイチェルが死んで、俺も死のうと思った。まぁ、そこをクロロに拾われた訳だが、まさか、本当にクロロも守人だったとは思わなかったね。出会った時キチェスを知っているか聞いたけど、知らないって言うもんだからてっきり違うものと・・・。」
「覚えてないな。」
対象のキチェスを失った守人は、その後を追うことが多い。
それでも、そうしなかったのはクロロさんに拾われたからか、それとも復讐をしようとしているからか。
私にとってはどちらでも良い。同胞が生きていたというのは喜ばしいけど。
「それで、は今までどこに?」
同胞とは言え、エヴァとハルが生きているということを伝えるのは憚られた。
ここにはシャルさんもいるし・・・と思って彼を見ると、話についていけなかったらしく、彼は私と目が合うと、待ってましたとばかりに口を開いた。
「ねぇねぇ、3人で盛り上がってるところ悪いんだけど、俺、話についていけてないんだよね。」
そりゃそうだろう。シャルさんにはクロロさんが私の守人という事も、クロロさんの額の痣が何を意味するのかについても全く伝えていない。
てっきりクロロさんが伝えていたかと思ったのだが、彼も伝えていなかったようだ。
「私達キチェスには、キチェス1人につき、1人の守人という人がいるの。守人は、キチェスの心臓の辺りにある痣と同じ痣を額に持つんだけど、実はクロロさんが私の守人でしたって話は聞いてない?」
彼はびっくりしたように目を数回瞬かせたあと、じとりとクロロさんを見た。
「団長、聞いてないよ。」
「言ってないからな。」
しれっと返したクロロさんは、ため息をついて私を見た。言ったらまずかったのだろうか。
でも、シャルさんの前で守人だとかいう話をしてしまったのは何も私だけの責任ではない。
「この話は他言無用だ。いいな。」
「りょーかい。で、レインの額に痣が無いのは、レインのキチェスが死んだからってことか。面白い仕組みだね。」
頭の回転が速いシャルさんは、先ほどの説明で今までの話の内容を理解したみたいだった。
「それで、がどこにいたか、という話だが・・・」
クロロさんの視線が私をうかがうように見る。私は、出来れば守人以外の人にエヴァとハルの存在を知られたくは無い。私は首を横に振った。
「俺の行きつけの本屋の店主に保護されていたらしい。」
「そうか・・・良かったな。おまけに、守人も見つけてるし。クロロならまぁ、多分安心だ。」
少し微妙な表情をするレインに私はちょっと笑ってしまった。確かに、能力的に言えばクロロさんは申し分ない。恐らく、性格面で難ありと彼も理解しているのだろう。
「で、来たばかりのとこ悪いんだけどさ、歌を、歌ってくれない?」
唐突な彼の依頼に、私は少し迷ったが頷いて結界を広げた。
「何が良い?」
歌、と一口に言っても、その数は多い。キサナド(聖歌)には、古来からある318章に加え、守人のために作られた10章が存在するのだから、その数は膨大だ。
「・・・第291章、追悼」
彼が何を所望するのか、いくつかの曲が候補にあがっていたが、やはり、それか、と私は目を閉じた。
文字通り死者を悼む歌。しかし、彼が求めているのは歌だけではないだろう。
「レイン、目を閉じて、手を。」
私が手を差し出すと、彼はその手をとって、目を閉じた。
お葬式で、歌われる曲。いつもなら皆で手を取り合い、棺を中央にして輪を描いて歌う曲だ。
息を吸い込んで、私は重く、息を吐き出すとともに、声を乗せた。
「サージャリム(神)よ、其の御手を死者に差し伸べ賜え パラジソス(天国)の扉を開き賜え」
歌いながら、私も瞳を閉じて天にその顔を向ける。手のひらから、レインの悲しみが伝わり、目頭が熱くなった。
「転生輪廻の輪に組み込まれし魂は 神の御許へ昇り 休息の時を過ごさん」
レインには見えて居るはずだ。パラジソスの扉が。そして、そこにいるレイチェルの姿が。
私とレインは今、意識を共有しているのだから。
「アスフォルデルスの花が咲き乱れる丘でまどろみ オケアーノスの泉で身を清め」
絵本でしか見たことの無い、パラゾシスの風景が浮かぶ。
「次なる生を待つ友よ その時が来るまで 静かに眠れ」
歌い終わる頃、私の頬を涙が零れるのを感じた。頭の中の映像が霞み、光の粒子が解けていく。
レインの手を握っている手に、水滴が落ちてきたのを感じて、私は目を開いた。
「・・・レイン・・・。」
彼は、手を離すと、そのまま顔を覆った。
「・・・会えた?」
尋ねると、ゆっくりと彼は手を顔から離して、私の目を見た。
かえって塞ぎこませてしまうか、と心配していたが、彼の目には落胆や悲しみというよりは、嬉しさの色の方が強く、ほっと胸をなでおろす。
「あぁ、ありがとう。本当に、ありがとう。」
礼を言う、彼の涙は、止まらなかった。
守人とキチェスは互いを半身と言っても支障の無いほど、強いつながりを持っている。
彼女の追悼を行ったことで、レインは心置きなく死ねる、と考えるか、彼女の分まで生きると考えるのか、私には分からなかった。
それでも、彼の目を見た限りでは、後者のように思える。
「・・・普通に恋愛して、家族を作って、老衰でこの世を去る。それが、レイチェルの望みだと思うよ、レイン。」
伝えるべき相手は此処にいない。ここは、私の仮の部屋だからだ。
ふと、私がもし、クロロさんを失ったらどうだろうか、と考えた。
会って数ヶ月にもなるだろうか。守人とキチェスの本来の関係を思えば、私達のそれはまだまだ未熟なものだ。
それでも、私はきっと自分の体の一部を失ったような喪失感に苛まれるだろう。
性格がどうであれ、やはり守人の隣は心地が良いものだ。
「もう、寝よう。」
追悼の歌を歌った後は気が滅入る。というか、今回はいつも以上に体力的に疲れた。
意識を共有する相手がクロロさんだったらもっと容易に出来ただろうが、レインは同胞とは言え、私の守人じゃない。
そう思うと、どっと疲れが押し寄せてきた。
沈みそうになる意識に、目を閉じた。
すぐ眠れるのだろう、という思惑は外れて、だんだんと冴えて行く頭に戸惑いを感じる。
レインの感情に当てられたのだろうか。
「はぁ・・・」
とりあえず、水でものもうと、ベッドから降りて、入り口の小さなテーブルの上にあるペットボトルに手を伸ばした。
こくこくとそれを飲み、息を吐き出すと、ベッドに戻ろうとする意思とは反して、私の手はドアノブにかかり、そのままドアを開いた。
「?」
自然と足が進む。夢の中にいるみたいに、身体を自分の思うとおり動かせない。
足は迷う事無く進んで、隣の部屋のドアを開いた。誰の部屋か、だ何て考える前に、感じる。
此処には私の守人が、クロロさんがいる。
ほ、と体から力が抜けた。どっと押し寄せてくるのは、安心感。
先ほど、急速に覚めていった眠気がまた襲い掛かる。先ほどとは非にならない位の勢いだ。
「・・・ほんと、"呪い"だね、クロロさん。」
前、守人の話をした時に口にした、クロロさんの”呪い”という言葉。
全くその通りだ、と思ったところで、私の意識は途切れた。
クロロはベッドに身体を横たえていたものの、眠っては居なかった。否、眠りにつこうとしていた、というのが正しい。
身体は休息を求めているのに、気持ちがざわざわと落ち着かないそれを持て余し、いっそのこと起きて本でも読もうかと思った時、小さな足音が聞こえた。
それは、確実に自分の部屋に向かっており、一旦、ドアの前で止まった。
こんな時間に誰だ、と考えをめぐらす前に相手は分かった。本当に、共鳴の石というものは便利だ。
しかし、彼女と行動を共にして数ヶ月が過ぎたが、こんな行動を取るとは、彼女らしくない。
かたり、とドアが軋むような音を立てて開いた。
彼女の戸惑うような空気が伝わってくる。
「・・・ほんと、"呪い"だね、クロロさん。」
返事を求めていないような、言葉。それを聞いて、クロロはなんとなく理解した。
彼女は、意思とは関係なくここへやってきたのだろう。
身を起こすのと、彼女が、ぷつり、と糸が切れたように力をなくすのは同時だった。
地面に落ちる前に支えた彼女は眠っているようだ。
「あぁ、そうだな。」
きっと、彼女には其の声が聞こえていないのだろう。
蜘蛛
2013.5.25 執筆